フォト
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

ウェブページ

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月の記事

2010年3月28日 (日)

「フローズン・リバー」の母親を許す。

「フローズン・リバー」を観に行きました。
愛知県では「名演小劇場」のみでの公開のようです。

余談ですが、劇場で「ブラスト公論」を読んでいる男性を発見!
わたくしより若いと思われる好青年でした。
同じメディアに接しているんだろうな、と思いました。

さて、この映画。
わたくしは、映画評論家(?)の町山智浩さんがずいぶん前に紹介しているのを聞いて、
なんとなく興味を持っていた程度でした。

町山さんは、この映画をこんな風に紹介していたと記憶しています。
カナダとアメリカの国境の間には凍った川があり、その川の両岸には
モホーク族(インディアン)の「保留地」がある。
そこは、アメリカの警察などがなかなか介入するできない。
しかしモホーク族は自由に行き来できるので、
いろいろな人が、カナダ経由でアメリカに密入国するのに使われる。
主人公の母親は、ギャンブル狂いの夫のせいでお金に困り、
ある出来事からこの密入国を手伝い報酬を得ることになる。
凍った川を、密入国者を車のトランクに入れてアメリカまで運ぶのである。
ある日、中東系の男女の密入国を手伝う。
彼らは大きなかばんを持っていたのだが、
自爆テロでもするテロリストではないかと疑い、
かばんを爆弾だと思い、そのかばんを凍った川の上に放置してしまう。
ところが、そのかばんには、赤ん坊が入っていて…。

ここまで聞くと、サスペンスっぽい映画なのかと思うのですが、
なかなかそういう雰囲気ではなく、どことなく牧歌的な場面が続きます。
密入国がおこなわれても、案外、日常の延長のように見えます。
この映画、実は、家族だとか、子どもだとか、母親だとかの関係を描いている映画です。

白人と、モホーク族の女性ふたりが主人公となるのですが、どちらも母親。
そしてどちらも、子どものために、行動しています。そして同じく、夫を欠いているという。

白人女性「レイ」は、子どもには愛情たっぷりです。
息子が2人いるのですが、上の息子「T.J.」が、悪い友達とつきあうことを快く思っていません。
友達が盗んだおもちゃを弟にプレゼントしたことも「どうせ盗んだのでしょ」と否定的にとらえます。
しかし、レイ自身は密入国に手を貸しているわけです。
密入国で手にした報酬で、新しい家を買い、クリスマスプレゼントにしようとしているのです。
おまけに、銃をふりまわし、撃ちまくったりしているのです。
この「レイ」、映画での描かれ方が「子どものことを考えて無茶している母親」
といった感じなので、「やむを得ず密入国の手伝い」みたいな同情を誘いそうなんですが、
よく考えると、ものすごく危険な犯罪に手を染めているわけで、
少しは何かあったときのことを考えたらどうなんだ、なんて思っちゃいます。
自分でも「子どもたちには、わたししかいない」みたいな事を言いますし。
しかし、駄目な母親なわけです。決して、「強い母親」ではないのです。

この映画の終盤では、「許し」がいくつか出てきます。
ひとつ例を挙げます。
T.J.がちょっとした詐欺みたいなもんに手を染めるんですが、
その被害者のおばあさんに「ごめんなさい」と言うことで許されます。
保安官みたいな人も出てくるんですが、それで許されるわけです。
ここで登場する大人たちは、とても、心が広いのです。
実は、T.J.はとってもいいお兄さんなのです。
そりゃ、悪いこともしますが。
家族思いの、とっても優しいお兄さんです。

登場するいろんな人が、どんどん悪い方に向かっていき、
救いがないような展開になりながら、
「謝罪」「許し」を経て、あるひとつのところに集まってくる。
なんともいえない、幸せな場面です。

レイだけは結局、刑務所に入ることになりますが、
まあ、数ヶ月刑務所に入って、お灸を据えられてこい、って思います。
だけど、わたくしも、広い心を持ってレイを許し、
出所してきたら子どもたちと幸せに暮らすがいいさ、と思うのでありました。

考えれば考えるほど、味が出てくる映画でした。
これは、おすすめです。子どもを抱きしめたくなる映画です。

2010年3月25日 (木)

「『家畜人ヤプー』ばっかりたくさんあるね」と息子。

わたくしが「家畜人ヤプー」を読んだのは、
今から約18年前のことだったと思います。
太田出版から「最終増補決定版」として上中下3巻で出ていたものです。

その後、古書店で石ノ森章太郎さんの劇画版を2巻入手しました。
(全部で4巻あるらしいのですが)

最近(と言っても2年ほど前?)、江川達也さんが漫画化しましたので、
そちらも9巻あります。

さて、最近ですが、小学2年生の息子が、わたくしの本棚を眺め、
「家畜人ヤプー」の背表紙を見て、こう聞くのです。
「ヤプー? なんて書いてあるの?」漢字のところが読めないのです。
「それは『かちくじん』と読むのだよ、『かちくじんやぷー』だ」と教えました。
「ふーん、ヤプーばっかりたくさんあるね」と息子。

息子よ、もう少し、大きくなったら、読むといい。
世の中には、こんなにものすごいことが書かれた本もあるのだよ。

さて、石ノ森版ヤプーが復刻だそうです。めでたいことです。
一方の江川版はどうなっているのでしょうか。お話は途中です。

先日、TBS Radioの「小島慶子 キラ☆キラ」に水道橋博士さんの代打として
江川達也さんが出てまして、それに先立ち吉田豪さんが「江川達也特集」やってましたね。

「家畜人ヤプー」に限らず、江川さんは
途中からどんどん背景とか書かなくなることで有名らしく、
そのことをものすごく批判している記事を何かの雑誌で読んだこともあります。
どなたかが「いたずら書き」とブログで怒ってもいますし。

わたくしなんぞは、そんなことは全く気づかず読んでましたが、
たしかに、1巻と9巻を比べるとものすごく差があって面白いです。
どうしてそうなるんでしょうか? という疑問に対する答えは、
吉田豪さんが放送で言ってましたが、まあ、納得いくというか、
そういう江川さんなら、別にいいや、と思わせるものでした。
「わざとファンを怒らせるように作っている」とか
「本は最初の方だけ売れればいい」とか
「技術のないアシスタントをどんどん切る」とかとか。

「小島慶子 キラ☆キラ」3月11日放送分の放送後記へ

2010年3月24日 (水)

フリーズしては困る「Windows原発」。

「Windows原発」ってのは、ウケると思ってわざと書いてますから。
わざとねじ曲げて書いてます。

米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツさんが東芝と新型原子炉を開発するのだそうです。
3月23日付日本経済新聞朝刊1面の解説によれば、
マイクロソフトとは関係なく、ゲイツ氏の個人投資活動の一環なのだそう。
だから「Windows」とは関係ないのですが、
かねてから、鉄道や銀行などの「システムトラブル」の根底にあるのは
「Microsoftの陰謀だ」と言っているわたくしにとっては、
聞き捨てならないニュースなのです(笑)。

「Microsoftの陰謀」とは何か? 過去に書いたことをもう一度書きます。

銀行ATMのトラブルやら鉄道・原発の事故まで、「システムの不具合」という理由で
「なんでそんな風になんの〜」といいたくなるようなことが起きるのは、
Windowsでいう「不正な処理」「フリーズ」というものに
世の中が慣れすぎたから、なんじゃないでしょうか。
よく言われることですが「自動車がWindowsのようだったらあかんだろ」ということです。
運転中にフリーズしたり、レスポンスが異常に遅れたりしてはいけません。

というわけなんですが…。

このようなシステムがWindowsベースで動いているとかいないとか、
そういうことを言っているのではなくて、
世間が、Windows的「フリーズしちゃった、また再起動かよ」というものに慣れ、
「それはそういうもんだから」という考えに至るという。
そうさせたのは、やはりMicrosoftのせいなのではないかと思うのです。

趣味の世界で、「あのOSはよく落ちるんだよねー」とか言っているうちはよいのです。
クセのあるバイクや車を愛でるのと同じようなもんです。
ですが、鉄道だの原発だのという話になると、それでは困ります。

世界を滅ぼすのは(「ターミネーター」の)「サイバーダイン社」ではなく、
Microsoftになるのかもしれません。

2010年3月23日 (火)

「NINE」。気持ち悪いジュディ・デンチが見所。

3月22日午後。映画を観にいきました。
「NINE」です。なぜかやたらと混んでいました。
席は一番前しか空いてなくて、首がいたくて死ぬかとおもいました。

期待通り、ダニエル・デイ=ルイスさんの落ちぶれっぷりは、さすが、という感じで、
あれほど猫背が似合う男というのもいないのではないでしょうか。
そして、ほかの女優も、なんだかやたらと豪華。
マリオン・コティヤール
ペネロペ・クルス
ニコール・キッドマン
ソフィア・ローレン
ジュディ・デンチ
ファーギー
ケイト・ハドソン
このように列記すると、検索エンジンにやたらとひっかかるんでしょうか(笑)。
みなさん上手に歌われるんですが、
一番の見所はやはり、ジュディ・デンチさんでしょうか。
だいたいみなさん、色気を出してまして、
ペネロペ・クルスさんなんかはアホみたいな歌詞で、ものすごいことになってるんですが、
それに対抗したのか、ジュディ・デンチさんも若干色気出し気味なんでしょうか?
とにかく、「おいおい、それくらいにしておけ」と言いたくなるという…。
「007」で、ボンドが暴走したときとかに、官僚的対応をしなきゃならない立場なのに、
ボンドを信じて見逃してやる、みたいな「はめをはずす」感じ? うーむ、難しい。
おババがいたずらしてる、とも思える。
しかし、歌っている内容は、エンタテインメントとは何か、とか
映画は料金に見合ったものを、とかいうようなもので、すばらしかったですけどねー。

2010年3月22日 (月)

わたくし、つくしを食べるんですが。

子どものころ、春になると家族でつくしをとりにいき、
甘辛い卵とじにしてもらって食べていました。

「花粉症」という言葉がなかった頃から花粉症に悩まされているわたくしにとって、
今の時期の外出は御法度なんですが、
つくしとりだけは、別です。今でも毎年、春になるとつくしをとりにいきます。

というわけで、3月21日、日曜日。またまた行ってまいりました!
今年は、近所でもやたらと大きく伸びて密集しているつくしを散見でき、
さぞや豊作であろうと思っておりましたが、
やはり、今年はあたり年なんじゃないでしょうか。
ものすごいことになっていました!

Img_7070_2

近年まれにみる豊作。
時期もちょうどよかったんでしょうか、いいつくしを選んでとれるほどでした。
ふきのうとうも、いくつかとってきました。(開いてはいましたが)

と、つくしを食べるというのが、あたりまえのように思っているわたくしですが、
世の中には、「え、つくし食べるの?」という方が多いようです。
あんなもん、春になると生えてくる、気持ちの悪い「植物」みたいなもんだと思ってるんでしょうね。
だって、ナウシカに出てきそうだし。
あんなもんを一生懸命とって、アホみたいに時間をかけて「はかま」をとって、
あまつさえ、食うという。
そう、思ってる人、多いんじゃないかしら。

さて、とってきたつくしは、とりあえず、天ぷらに。
余った分は、後日「卵とじ」にして楽しむつもりであります。
しかしなんですな、ものすごい苦労して作った天ぷらですが、
子どもたちの評判の悪いこと悪いこと。苦いとかなんとか言って、
全然食べませんよ。まったく。

「第9地区」はPG12。

4月から観たい映画が目白押しで、
今のうちに、いろいろ映画を観ておかないと、
見逃す映画が大量に出て来て大変なことになる! と思って、
スケジュールをたてようか、と思い立ち
昨年から期待が高まっている「第9地区」について調べてみたら
いわゆる映倫の区分(レイティング)がPG12となっていた。

映倫(映画倫理委員会)のサイト

このPG12は「小学生には助言・指導が必要」とのことである。
公開時期には小学3年生になっている息子は大丈夫なのだろうか?
とか思いつつ、しかしどうせ字幕上映だから無理だねー、と決着。
できれば「第9地区」なんかは息子にみせてやりたいなぁ、というような映画ではあるけど。

過去にも、「子どもに見せてもいい映画」について考える。として
考えたりもしてるが、
わたくしとしては、まあ、映倫の「区分」を参考にすることは、ないだろうなあ、と思ったりした。

Wikipediaに「PG12指定の映画一覧」ってのがあったので、みてみたら、
意外に「普通」と思えるのも入っていた。
息子が観てるのもあるが、指導とかはしてないなぁ。

ところで、「第9地区」の原題は「District 9」。
まったく関係ない「District 13: Ultimatum」ってゆー、
タイトルだけみるとびっくりするくらいオリジナリティのまったくない映画がある様子。
予告編みたけど、おもしろそうだ!

2010年3月21日 (日)

「秀英5号かな」を使った京極夏彦さんの「冥談」。

京極夏彦さんの新刊「冥談」。
本を開いて驚いた! 字が紺色? 茄子みたいな色だ!
そして「秀英5号かな」を本文に使っている! なんか気持ち悪いぞ。

おまけになんとなく、薄汚れた感じが…。
この薄汚れた感じは、後にしっかりページをみてみたら、
非常にうすーい網がかかってました。芸が細かい。
「厭な小説」では、もうちょっと激しく主張している「薄汚さ」が、
この「冥談」では控えめになり、それが絶妙で、ほんとに薄汚く不気味になってますね。

「秀英5号かな」は、今の時代、本文に使うのはちょい厳しいのではないか、
と思うのですが、案の定、最初はとっても読みにくくて、
京極さんの本を読んでいる感覚がしない、という不思議なものでした。

いくつかの短編がおさめられているのですが、
最初の「庭のある家」では、書体のおかげで、このお話はいつ頃のことを
書いているのか、というようなことがさっぱり想像つきませんでした。
読み進めると、「晒し首」などという言葉が出てくるし
「明治になったころ、十かそこら」との記述まで出てくるので
だいたいは推測できるのだけど、
まったく現実感がないというか、気持ち悪いなぁ、と思いながら読みました。

ただ、1つ、まさしく「秀英5号かな」でなければならない、と思えるところがありました。
それは「柿」というお話にでてくる
「厭だなあ虫が出て来たりしたら。」というところです。
まあ、見ていただけばわかると思いますが、これは、ほんとに厭そうです(笑)。

本の終わりにいくに従って、現代のお話っぽいのが出てくるんですが、
その頃には「秀英5号かな」にも慣れ、もう「似合わない」などと思わなくなっていたのでした。

2010年3月20日 (土)

「ハードディスクの整理」は人生の何割を占めるのか?

先週のTBS Radio 954 「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」にて。
ゲスト出演していたスチャダラパーの誰かが「最近はハードディスクの整理に時間をとられて、
読書する時間が減った」と発言し、やたらとうけてました。
たしかにそのとーり!
パソコンのハードディスクに限らず、テレビを録画するやつもあるわけです。
なんだか、わけわからんですよ、こういうのは。

パソコンを使っている時間のうち、ハードディスクの整理が占める割合はどれくらいなんでしょう。

だけど、やらないとぐちゃぐちゃになっちゃって、どーでもよくなる。
じゃあ、最初からいらないじゃん、というわけにもいかない。

どのデータが、ハードディスクのどこに保存されているのか?を自分で把握し、
コントロールしたい人と、そうじゃないという人がいると思う。
わたくしはMacを使ってるんですが、大量の写真データなんぞは、iPhotoで管理してます。
これはまあ、ハードディスクのどこに保存されてるかなんて、あんまり意識しないでも大丈夫です。
音楽はiTunesで、こちらもあんまり保存先を意識することはありません。
(まあ、どちらもフォルダの構造はわかりやすいですが)
要するに、整理はソフトが勝手にやってくれているわけです。

Mac OS Xには、条件を設定し、その条件にあてはまるデータをフォルダのかたちで一覧する
「スマートフォルダ」という機能があるわけですが、これなんかも実データの保存先を
意識することなく、「整理」された状態でデータが見られる感じになってます。
(しかし、確実な結果を得るには、高度な論理演算を組み立てる必要があると思う)

こんなもんが、もっと進化したら、人類はハードディスクの整理から解放されるのでしょうか。
人生の大半を、ハードディスクの整理にとられるようなことはしたくないなぁ。

まあ、最近は前述のような便利機能のおかげで、
それほど「整理」してる時間はたくさんではないのですが、
もうひとつ、「なんでこんなもんに時間かかるんだ」と思うのは
「更新」というやつですねー。

使っているMacを、たまーにWindowsで起動するんですが
さすが「たまーに」だけあって、どうしてもWindows Updateみたいなもんが走るわけです。
これ、なかなか終わらないんです。たくさん更新があるからなんでしょうけど。
Macで起動しなおして、スリープさせておきたい時なんか、どんだけ無駄な時間なんだー、と思います。
パソコンを使用している時間のうち、「更新」の占める時間というのも問題だぁ。

2010年3月18日 (木)

子どもが宿題の手抜きをごまかすが、すぐばれるという話。

面倒な宿題をごまかすというのは、よくある話である。
いかに、まじめにやったかのように見せかけるか。
その技を考えるのは楽しい。
ホントに楽しい。いやー、楽しかった!

小学2年生の息子の話。
計算ドリルというのがあって、これには、ノルマがある。
いつまでに、ドリルのどこそこまでをやりきる、とかいうやつだ。

間もなく2年生もおわるということで、今使っているドリルをすべてやりきるということが
最近のテーマになっているわけだが、
今日、たくさんドリルをこなしたと、そういうことを言っていた。
なぜだか普段はドリルの添削を家庭で親がすることになっていて、
そんなことをやったりもしているわけだが、
今日は、追い込みが近いからか、授業中にいくつかドリルをやって、
自分で添削する時間が設けられていたとのこと。

そんなわけで、「今日は9つドリルやったけど、最初の方はおとうちゃん
丸つけしなくていいよ」という息子。
とはいえ、どこまでちゃんと添削(丸つけ)できてるもんかと思って、
「おとうちゃんは見なくていい」ところをかるーく見てみた。
するとですね、全部○がついてるわけなんですが、
答えが書いてないところまで○になってるんですねー。

筆算というのをやってるんですが、
問題だけ書いて、答えは書いてない。そこにも○が!
  194
+  25
ーーーーーー
上のようなことが「計算ノート」に書いてあるんですが、
見事に「正解」!
って、おい! わかりやすいだろ、それ!

手抜きするなら、もう少し、工夫できないものか。
こういうことは、巧妙にやらないとさ。

2010年3月16日 (火)

京極夏彦氏「数えずの井戸」。後手に回った又市さん。

先日購入した京極夏彦氏「数えずの井戸」の感想。

冒頭、青山播磨や菊など、関係者がほとんど死んだと示唆される。
だけど、何がおこったのか、語る者によって、それぞれ異なる、といういつものパターン。

そして、比較的早い段階で、又市さんが登場する。
これはひょっとして、菊さんは生きているのでは、と思ったものだが、
結局、助かっていない。

又市さんというのは、なんでも先を読み、
一番、おさまりのよいところに話をもっていくと思っていたが、
そんなもんは、無理なんだなぁ。
後手に回った、というより、何もしていない。

本の残りページがわずかだというのに、話がどんどん拡散し、
登場人物がじゃんじゃん集まってくる。
いったい、どうおさめるのか、と、いつも想像できない展開をみせる京極さんの小説。
今回は、後悔ばっかりし、悲しいやりとりが続く終わりでした。
だけど、それは、ほんとの話なのかなぁ。

ところで、先日、書店にいくと、
またまた「冥談」という新刊が出ていました!

2010年3月 8日 (月)

お金のはなし その2。筒井康隆氏「アホの壁」を読んでよかったこと。

筒井康隆氏の著作に関する書評で、いまだに頭に残っているフレーズがある。
それは「筒井康隆なら、これくらいは書けるよな」というものだ。
1993年、「パプリカ」という本が出たとき、たしか月刊誌「宝島」に載っていたのだと思う。
筒井さんくらいの人なら、「パプリカ」くらいの話は、軽く書けるはず、
だから、もっとすごいのを望む、というような文脈だっただろうか。

その後、筒井さんの新作が出るたびに、この言葉が頭に浮かぶ。
そう、あれから、ずっと、筒井さんの新作を読んでも、驚きがなくなってしまったのである。

というわけで、このごろ「ダンシング・ヴァニティ」とか「巨船ベラス・レトラス」など
読んでいるとちょっと厳しい感じのするものが多く、
そんなことを書いているわたくしは失礼しちゃうわ、となるわけだが、
最新刊「アホの壁」を読んで、ひとつ、良いことがあったのでご報告いたします。

さて、このブログ、誰が読んでいるか知らないが、嫁も読んでいるようである。
もし、今、読んでいるなら、ここで読むのをやめた方がよい。
なぜなら、世のおっさん連中は、これから書くようなことは、「嫁には内緒」だからである。

「アホの壁」(新潮新書)。
新書だから、モリサワのリュウミン。広く、多くの人に支持される無難な書体である。
そして、すぐ読める。そういう媒体だ。
内容は、ちょっとみなさんが興味のある専門分野のことを触る程度。便利である。
「アホの壁」を読んでいると、上記のような「新書」に対する、通常の感想を抱く。

そういえばかつて、筒井さんの「本の森の狩人」「短編小説講義」などといった新書があったなぁ、
昔は、もっと内容が濃かったかなぁ、などと思った。
そういうわけで、ぼんやりと本棚を眺め、昔の新書などを手にとってみた。
なんか、新聞の切り抜きがはさまっているが、「走れメロス」のことが書いてある。
なぜ、それがはさまっているのかわからない。わからないまま、棚に戻す。
そして、ふと「文学外への飛翔 俳優としての日日」という本を手に取る。

2001年の本だ。2001年というのは、長男が産まれた年である。
意外に最近のことであるなぁ、などと思うが、あれ?
表紙をめくってみると、なななななんんと、1万円札が!(嬉)。
こういうときは、あからさまに喜んではいけないのである。
なにか、誰かがだまそうとしているのではないか、などと疑ってみるのが普通だ。
贋札とかかもしれない。
喜んではいけない喜んではいけない喜んではいけないなどと思いながら
その札を引き出してみると、もう、喜びを隠しきれない事態に発展した。

2枚あったのである。
1万円札が2枚である。

誰の仕業だろうか?
自分?
だけど、記憶にございません。
2001年くらいは、そんなにお金に余裕があったわけではない…。
でも、まあ、これは、過去の自分が、今の自分にご褒美をくれたんだろう。
間違いない。
そういうわけなんである。

今度の日曜日に、ほかの本も、開いてみることにしよう。

2010年3月 6日 (土)

お金のはなし その1。

明日(日曜日)は、小学2年男子の息子と嫁さんがふたりでおでかけ。
USJに行くのだという。

というわけで、息子に小遣いでもやろうかと思って、
「K君、自分の財布もってきてよ」と言ってみた。
こういうとき、素直に財布を持ってこないのが我が息子である。
「え、なんで?」と聞いてくる。
こっちは、びっくりさせて、喜ばせてやろうと思ってるから
「持ってきたら、わかるから」と、とにかく持ってくるように言う。
しかし、息子は「理由を先に言ったら持ってくる」と引かない。
そして、どうやら財布をなくしたとか、貯金箱ではだめなのか、とか
いろいろと保身に走る。
なんだかんだ言って、探しにいった様だったが、
半分泣きながら「なんで財布もってかないかんのー」と叫んでいる。

こうなると、だんだん腹が立ってくるのである。
このままではお小遣いをあげる気も失せそうだ。
「持ってこれば、いいことがある!」とかなんとか言って、
持ってくるよう促す。もう、何度も同じことを言った。

いろんな不毛とも言えるやりとりがあり、
その中ではお金の大切さとか、そのお金を入れる財布の大切さとかを説く
などという回り道もしたのである。

泣きながら、やっと財布を見つけてきた。
「ちょっと、来い」と、わたくしとしては少々わくわくしながら息子を呼ぶ。
おもむろに「おまえに小遣いをやる、あした好きなものを買いなさい」などと言い、
ぱかりと、わたくしの財布を開く。
千円札でも渡そうかと思ったが、
むむ。
五千円札しかないではないか!

さて、あなたなら、どうする?

2010年3月 5日 (金)

主に、コーマック・マッカーシーさん「ブラッド・メリディアン」、少し筒井康隆さんの「アホの壁」。

こどものころ、家でグッピーを飼っていました。
グッピーというのは、淡水の熱帯魚で、案外簡単に増やすことができます。
我が家でも数匹のメスが妊娠し、おなかが大きくなりました。
魚が泳いでいる水槽というのは、ずーっと見ていても飽きないもので、
わたくしなどは親が心配するくらい水槽を眺めていたもんです。
そんなわけで、出産の場にも立ち会うことができたわけですが、
グッピーさん、今、自分が生んだ赤ちゃんグッピーを食ってしまうんですね。
相当、頭が悪いんだと思いました。

自分のこどもを食ったり、同じ種族の仲間を殺したりする動物はどれくらいいるのでしょうか。
また、それは、なぜなのでしょうか。
筒井康隆さんの新刊「アホの壁」(新潮新書)では、動物行動学者のコンラート・ローレンツさん
という人の考えを紹介しています。
少々、上の疑問からはズレますが、次のようなことが書いてあります。
動物は、種が絶滅してはいけないので「致死的な攻撃を抑制する」ため、
「闘争の儀式化」をおこなっているのだそうです。「儀式化」とは「威嚇の姿勢をとったり、
顔を赤くしたり、体毛を逆立てたりすること」ということだとか。

よくある話ですが、なんかよくわからん理由で仲間を殺したり攻撃したりするのは
人間だけだという説。

コーマック・マッカーシーさんの「ブラッド・メリディアン」では、
ほんとに多くの殺人が行われます。
殺して、頭の皮を剥いだり、着ているものを盗ったり。
たまに、体の一部をアクセサリーにしたりもします。
これらのことが、我々の言う「殺人」という概念とは違い、自然の営みのように書かれています。
最初は、「まるで動物のようだ」と思いましたが、
動物だって、ここまで同じ種族を殺したりはしないでしょう。

登場する「少年」が生まれたのは、1833年のことで、小説はその「少年」の生きている
時代を描いているわけですが、いくら180年ほど前のこととはいえ、
この感覚は、どうも、わかりにくいです。
コーマック・マッカーシーさんの作品に
「血と暴力の国」(映画にもなった「No Country for Old Men」)というのがありますが、
どう考えても、この「ブラッド・メリディアン」の方が「血と暴力の国」ですね。

帯に「映画化決定」と書いてありますが、マジっすか?
死体がバラバラになって腐っていたり、野犬に食われたり、
人が熊に食われたり、ライフルで撃たれてばらばらになったり、
脳みそがとびちったり、という描写だらけなんですけど。

それと、砂漠を長期間移動して「頭皮狩り」をしているので、
ぶら下げた頭皮からは「悪臭」がするでしょうし、
食料として、生肉をぶら下げていたりもしているので、それも腐ってきます。
生活環境は悪いです。
当然小説には、そのような「におい」に関する描写があるわけですが、
これは映画化するにあたって、どう表現するのしょうか。
「頭皮狩り隊」の存在自体が禍々しく、その周囲に「悪臭」がつきまとう、
というのは、とても重要なことだと思います。

コーマック・マッカーシーさんの本はさきの「血と暴力の国」のほかに
「ザ・ロード」というのを読みました。最近のお気に入りなんですが、
どうも、誰が、何をやっているのか、とか、この人は敵なのか味方なのか、
みたいな基本的なことが時々読み取れなくなることがあり(笑)、
自分の未熟さを実感するのであります。

「ザ・ロード」も映画化されていますが、日本では公開される(た?)のでしょうか。
予告編は以前見ましたが、見事に禍々しかったです!

2010年3月 4日 (木)

「神の鉄槌」は2036年か。

アーサー・C・クラークさんの「神の鉄槌」といえば、
地球に衝突する危険のある小惑星が近づいてきたので、
その軌道をほんの少し変えて衝突を避けよう、というお話であり、
映画「ディープ・インパクト」のもとになっていると言われている小説。

その鉄槌が、2036年に落ちてくる可能性がある、という記事が
2月28日付日本経済新聞朝刊「サイエンス」面に載っていた。
それは直径300〜400メートルの「アポフィス」という小惑星で、
実は2029年に衝突する可能性があったが、その後、
それはないことがわかったものの、2036年に衝突する可能性がでてきた、
というような内容であった。

この大きさの小惑星が衝突したら、どうなるのか、
想像もつかないが、被害が出るであろうことは間違いないと思う。
まさか、人類が滅亡するようなことには、ならないだろうか?

先日、NHK(テレビ)で、ハッブル宇宙望遠鏡の修理について
ドキュメンタリー番組を放送していた。
ハッブル宇宙望遠鏡は、宇宙にある。
だから、修理するのに、人間がスペースシャトルに乗っていかなければならない。

こんなことを言っちゃなんだが、望遠鏡を直すのに、なんて危険なことをするんだ、と思った。
さっき見たWikipediaによると、スペースシャトルの飛行回数は129回だそうだ。
チャレンジャー号とコロンビア号の事故があったので、
129回のうち、2回は人が死んでいることになる。
どこかのサイトで読んだことがあるが、これをサラリーマンにあてはめると、
2ヶ月程度で、通勤途中で死亡事故にあう、ということなんだそうだ。
(そういう計算が成り立つかどうかは知らんが、感覚としてはそんな感じ)

さて、2036年に衝突する可能性があるのなら、なるべく早くその「アポフィス」に
それてもらわなければならない。
映画のように、有人で、ということはないだろうけど、
もし、有人なら、どれほどの危険が伴うことだろうか。
そんな仕事をする人がいるのなら、その人はもちろん、家族や、親戚や、その子孫まで、
永遠に働かなくてもいいような、優遇をしてあげたいものである。

そして、願わくば、(その能力すらないにもかかわらず!)わたくしにも一枚かませていただいて、
もう、会社とかに行かなくて済むようにしたいもんである。
(これが、オチなんですが、どうでしょう)

2010年3月 2日 (火)

昆虫グミを作る。

日曜日の朝は、こども向けの番組が多く、
それらの番組で流されるCMには、当然おもちゃだのお人形だのというのが多い。

先日、驚愕のCMが流されていた。
洗濯などをしながらぼんやり目の端でみた、という感じなので
はっきりとは認識できなかったが、
どうやら、かぶとむしなどの昆虫の形をしたグミを作れる
「食玩」のようなもののCMだった。
ネットで調べてみたら、カエルとかおたまじゃくしとか、かぶとむしの幼虫(!)とか、
ダンゴムシとかも作れるというではないか! おもしろそうではないか! と思ったので、
さっそく探しにいった。

しかし、近所のスーパーなどに行っても、ないのである。
いろいろ買い物ついでに回ってみたが、やはりないのである。
はて、どこにあるのだろう、と思っていたら、こどもが「トイザらス」にあるのでは?
と言うので、行ってみた。
お菓子のコーナーを見てみたが、やはり、ない。
まあ、そのうち見つかるだろうと思って帰ろうとしたら、
なんと、その「おもちゃ」を持っている少年がいるのをこどもが発見!
で、でかい!
お菓子だと思っていたが、どうやら、そういう感じではない。
高さ25cm、幅奥行き10cmくらいある長い箱ではないか!
なるほど、これは、「お菓子」ではないのであるな。
そういうわけで、少年に、どこに置いてあるのか教えてもらって、買ってきた。

「ジュース合成 グミックス ワンダーラボ」という、わけのわからない商品名であった。

Img_7013

中は写真のとおり、昆虫などの型や、いかにも男子が喜びそうな
カップだとか、混ぜ棒のようなものが入っている。
興味をもたれ、今後買おうと思っている方のために書いておきますが、
材料は、入っていません。作る道具だけが入っています。

さて、ぐちゃぐちゃになりながら作ったおたまじゃくしは、こんな感じ。

Img_7023_2

こどもが言うには「不思議な味、本物のおたまじゃくしの味がする」とのこと。
「おまえはおたまじゃくしを食ったことがあるのか?」と聞いたが、
意味不明のことを言っていた。

詳細な説明書がついていて、その通りにやってみたが、とにかく、ぐちゃぐちゃになるのである。
だから、わたくしのおすすめは、
「付属の道具は使わず、鍋とかでジュースと砂糖とゼラチンをまぜて溶かして、
それを型に流せばいいじゃん」

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »