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2010年4月の記事

2010年4月26日 (月)

ZEPP NAGOYAでのライムスターに軽く落涙。

4月25日。ZEPP NAGOYA。
「RHYMESTER KING OF STAGE VOL.8 ~マニフェスト RELEASE TOUR 2010~」。

ジャズ以外のライブは、PRINCEしか行ったことがないわたくし。
「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」リスナーというだけで、
HIP-HOPは厳しいかな、おまけに30代後半だし。

宇多丸さんやMummy-Dさんは40歳、DJ JINさんがわたくしと同年齢ということで、
「きっとお客もおっさんに違いない!」と根拠のない思い込みで自信を持って行ったが、
ZEPP NAGOYA周辺にたむろしているのは、活きのいい若者たちではないか!
しかもライムスターTシャツとか着て、ライムスタータオルとか持ってるし!
ああ、困った困った。
これはいかんということで、同行した友人(同級生)とともに「とりあえずビール」。
しらふで会場に突入する気には、まったくなれないという。

開演間近になり、会場入りするも、「サーセンねー、おっさんで」という感じで卑屈に。
どうなることやら、と心配して開演を待っていました。
午後7時ちょうどくらいでしょうか、突如会場が暗くなり「ONCE AGAIN」イントロが!
舞台前の幕にでっかい飛行機が! そして幕がばしーんっとはけた!
ライムスターの3人がそこにいるではないか!
わたくし、この瞬間から、なんだか感動してしまいました。
「かっこいい」とかじゃなくて、「感動」なのです。軽く落涙ですよ、ほんと。
きてよかったって思いました。

若い連中が喜んでいます。その喜びが伝わって来ます。おお、すごい! すごすぎる!

ぎゃーぎゃーやってるうちに「H.E.E.L」「付和RIde On」と続き、
「いやー、ボクは『マニフェスト』の良さをまったくわかってなかったなぁ」と感じたのです。

「発明」の披露も含め、いろいろなことをやってくれて、
とっても笑わせてもくれたライムスターですが、
みなさん、自分の仕事に誇りを持っているということや、
自信を持っているということがとても伝わってきました。
Mummy-Dさんは、HIP-HOPというものがいかに「知性」を必要とするアートであるのか、
ということを力説していましたし、
宇多丸さんは「チェック・ザ・テクニーク」書評で言っていましたが、
かつてのアメリカと自分たちの間に、実はそんなに違いがあるわけでなく、
どちらが本物なのかとかは関係なく、もうわれわれも自信を持ってよいのだ、
というようなことを言っていました。
なんだか、とても尊敬しました。
ライムスターの3人だけでなく、何年もライムスターを聴いているであろう
1階で飛び跳ねたりしている連中にも、あんた達ゃすごいよ、と尊敬の念を抱くのでした。
そして、少なからず自分がHIP-HOPに抱いていた偏見みたいなもんが
すっかりなくなりました。

「ラスト ヴァース」は、終わりの曲ではなく、
「大いなる助走」(これは筒井康隆さんの小説でもあり
宇多丸パートの歌詞でもある)なのであるという余韻を残し、
ライブは終わりました。感動と爆笑のライブでした。
そして次も絶対行こうと思ったのでした。

「どうも ありがとう」。

2010年4月24日 (土)

マイケル・ムーアさんが信用できないワケ。

マイケル・ムーアさんが間違っているとか、そういうことじゃないですけど、
「ボウリング・フォー・コロンバイン」の1シーンのおかげで、
「信用ならんなぁ」と思うようになったというお話です。

このまえ、テレビで「シッコ」を放送してまして、それを観たわけです。
かなり激しい主張を感じる「ドキュメンタリー映画」をつくる人だと思うのですが、
普段、テレビや新聞などのメディアから得られないものを伝えているところは
「よっ、さすが!」と思いました。
そして、いろんなことを「実行」している姿もさすが。
こういう人がいて、情報を発信し続けなければ、暗黒だなぁ、とまで思います。

そんなわけで、「ボウリング・フォー・コロンバイン」のことを思い出しました。
ひじょーーーーーーーに曖昧な記憶なんですが…。
たしか終盤、全米ライフル協会会長であるところのチャールトン・ヘストンさんと話をする場面。
マイケル・ムーアさんが追い出され(? もしくはチャールトン・ヘストンさんが逃げる?)
チャールトン・ヘストンさんに何かを言っているところ。
それまでマイケル・ムーアさんを手前に、チャールトン・ヘストンさん(?もしくは家)を向こうに
撮影していたのに、突如、マイケル・ムーアさんを正面からとらえるカットが入り込む…。
(「カット割り」という?)

おや?
後で、セリフの部分を撮ったの? そういうことしていいのか?
「それのどこがいけないのか?」という深い議論もありましょうが、
ここだけ、今までの時間と違和感があるので、「信用」が落ちる、と思うのです。

実は、このことについて、森達也さんもどこかに書いていたような気がして、
もういっぺん読んでみようと思い、
これかなあ、と思う本をひらいてあちこち探したんですが、見つかりませんでした。
いずれゆっくり探しておきたいです。

ついでにもうひとつ。
昨年「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」というドキュメンタリー映画が公開されたのですが、
この映画にもひとつ「信用ならねぇなぁ」と思うシーンがありました。
日本からリップスさんに電話がかかってくるところ。
いきなりなんですが、机の上で「ぶーぶー」と震えている携帯電話のアップが…。
電話かかってくるたびに携帯のアップを撮影してるのかなぁ。
で、その後で「もしもし」って出るのかなぁ。
ドキュメンタリーというのは、そこで起こっちゃってることを
そのまま「素材」に使うのじゃないのかしらん。
(その後、編集とかで嘘ついたり、ねじ曲げたりすることはあるかもしれんが)
「あ、あんとき電話がかかってきたじゃん、あれ、も一回やってみっか?」っていうのは
ダメなんじゃないのかなあ?

「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」は都合よいシーンが多いんですが、
この携帯のシーンのおかげで、映画全体が信用ならぬということになっていると思いました。

2010年4月23日 (金)

2ヶ月半を経て「ミレニアム」1の下を読むことができた。

スティーグ・ラーソンさんの
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」は上下2巻にわかれていて、
その「上」を図書館で借りて読んだのはほぼ2ヶ月半前のことでした。
その後、「下」がずっと貸し出し中で、なかなか借りられなかったのですが、
今週やっと発見。月曜日から読み始め、ついに「1」が終わりました。うわー。

あー、誰だっけ? この人?
あー、なんていう島?
殺されたのは誰だっけ?
何が謎なんだっけ?

とか思いながら読み進めましたが、まあ、なんとなく思い出しながら楽しみました。
とにかく人の名前が多くて困りました。だって、「一族」だもん。名字いっしょなんだもん。

それにしても、最近、こういうものを読んで驚くことが少なくなりまして、それが残念です。
つまらないってことではないんですが。ひねくれちゃったんでしょうね。きっと。

写真を合成したとかいう件で、「Photoshopを使って」だとか
いちいち使っているパソコンの機種とかを書いたりするところとか
「ミレニアム」編集部の中の話なんかを細かく書いたりしていて、
細部まで具体的に書いているところがよかったです。
こういうのを楽しみながら読むのは、ある種の「萌え」と言っていいのかもしれません。

「ドラゴン・タトゥーの女」リスベット・サランデルは、
とってもうらやましい才能を持っているのですが、なかなか好きになれませんでした。
しかし、ミカエルと「仕事」をいっしょにするようになってから、
少しずつまともな人間になっていったので、だんだん好感が持てるようになりました。
そんなわけで、あんまり興味がなかった映画も、観てみたいなぁと思うように。
本は大ヒットしたらしいのですが、映画はどうだったんでしょう。
この地方でも、上映していた映画館があんまりなかったように記憶しています。

さて、実は「2」も上下そろって借りてきました。
次もミカエルさんとリスベットさんが出てくるんでしょうかね。

2010年4月22日 (木)

ハゲは写真に写っちゃいけないんですか?

仕事の話。ずいぶん前のことなので、書いてもいいだろう。

まあ、いろんな団体や会社がいろんな印刷物を作っていたりするわけです。
わたくしはそういうものをDTPする(?)仕事なわけです。
先方の担当者というのがいまして、その指示を仰ぎながら、ま、作っていくわけですが、
で、「この人、バカなんじゃないか」というような出来事がありまして。

ちょっとした団体の式典みたいなもん。
エラい人が壇上でしゃべっています。
たくさんの会員(?)が並んでそれを聞いています。
その場面。
会場後ろから写真を撮ります。
聞いている皆様は後頭部が写るわけです。

中には頭頂部などが薄い人もいますわな。

で、そのハゲどもを「頭を黒く、ハゲがみえないように」という修正!

完全禿頭の人は不問です!
なんか禿げてるなあ、という人たちの頭を黒くしろと言うのです!

ハゲを気にしているエラい人に気をつかって、
そのエラい人の頭をふさふさ(笑)にするだとか、そういうことじゃないですよ。
そこらにぽつぽつ写っている、いわば「市井の禿頭」に髪を生やせと!

あのー、ハゲがいてはいけないんでしょうか?
ハゲは写真に写っちゃいけないんでしょうか?
なんか、ハゲに対して、ものすごくネガティブじゃないっすか?

2010年4月21日 (水)

小学3年生の息子の忘れ物などについて。

今日、TBS Radio「小島慶子 キラ☆キラ」のPodcast(4月20日放送分)を
聞いていたら、「子どもがはじめて口にした言葉」というような事を話していた。
そこできっぱりと「忘れてます」と言い切るのが小島さんらしいところであるが、
わたくしはかろうじて、上の子(現在小学3年生)については「うに」であったと記憶している。

そんなわけで、子どもを取り巻く、ささいな日常なんかをここに書いておくのも
悪くないな、と思ったわけであります。

というわけで、今日は「小学3年生の息子の忘れ物などについて」。
どうやら、忘れ物が多いらしく、連絡帳に「忘れ物が多いので、親がチェックを」
というような先生のメモが書いてあった。

なんだかうちの子は、明日の準備をするより前に、テレビを見たり、
レゴで遊んだり、というような生活を送っているので、
わたくしは「やる事やってからにしなさい」としょっちゅう言っている。
こういう時は、あえて「時間割をあわせろ」とか「あしたの持ち物は大丈夫か」とか
なるべく具体的に言わないようにしている。
「自分で考えろ」ってわけなのだが、それがいけないのかしらん。

だから息子が自分で考えて、「別に、なにもない」と思うのなら、それでいい、と。
そして、落ち度があれば、怒られてこい、と。
そんな難しい事じゃないと思うので、自分で責任をとれって事なんだが。
小学3年生には無理なのか?
ま、息子を見ていると、「無理」な感じなのだが…。

親が手取り足取りやって、そこそこ無難に学校生活を送るより、
さぼるとどんな目にあうか、忘れ物をするとどれほど肩身が狭いか、
宿題をごまかしたのがばれるとどれだけ怒られるのか、
というような失敗をして、「こんどはしっかりやろうかな」とか思ってくれるといいな、
と考えているのでありますが。

さて、忘れ物がないように親がチェック、というのをどうするか?
子どもがテレビとか見ているのに、親がランドセルをひっくり返して、
連絡帳と突き合わせるというのもどうかと思い、
子どもに声をだしてチェックさせて、それを眺める、という方式にしてみた。
どうなるんでしょ。

2010年4月19日 (月)

今年の花粉を早々と総括。

今年の花粉症はずいぶん楽でした。
毎年、ゴールデンウイーク明けくらいまで花粉症に痛めつけられてますが、
今年は既に「もーマスクいらないんじゃないのー」と思えるほど。

お薬も5回くらいしかのんでないかも?

よく「今年の花粉は例年の半分くらい」とかなんとかいって、
「今年は安心だ」みたいな雰囲気をかもし出していたりするもんですが、
わたくしに限ってはそんなことはなく、来るもんは来るのである。
少ないとはいえ、症状は出るわけで、それはやはりつらいのである。

ところが前述の通り、今年はほんとに楽だったなぁ。
と、過去形になり、もう終わったことになってるくらいなのである。

4月18日付日本経済新聞社会面によれば、地域によっては例年の10%未満しか
飛散していないところもあるとのこと。(環境省発表)

そういうわけで、マスクも相当在庫があるらしく、大変なんだとか。

ヨーグルト食べても関係ないし、お酒やめても関係ないし、
そんなわたくしでしたが、今年ばかりは、
なんだか知らないけど恩恵を受けたような感じです。

2010年4月16日 (金)

「第9地区」。「父親」と「良き夫」の絆。

「第9地区」!!!!
わたくしにとって、これほど公開が楽しみだった映画は、
「クライマーズ・ハイ」以来じゃないでしょうか。
そういうわけで、まあ、細かいことはあんまり言うなや、という感じです。

エビみたいな宇宙人とはいえ、20年も一緒に暮らしてれば
仲良くなってもいいんじゃねーのー、と思いがちですが、
人間同士でさえ、肌の色だとか人種だとかでいつまでも差別しているわけですから、
そう、うまくはいかないわけです。舞台が南アフリカ、ってのが象徴的です。

でもあのエビ、もう少し「知性」ってものを持ってないんですかね。
知的な感じなのは、「ギャング」扱いのクリストファーとその「友達」だけで、
あとのエビどもはほとんど「獣」みたいで、とっても変。
少しくらい社会性があるというか、リーダー的なエビがいてもよかったかなぁ。

「ドクター・マンハッタン」はいないけど、人間がぼんぼん破裂します。
「ウォッチメン」よりも「どろり」とした質感で、びしゃっ!となるという。
そういえば、母船が起動して「ぼえーーー」と低い音がするんですが、
(スピルバーグの方の)「宇宙戦争」みたいな音で、その宇宙戦争でも
人間が「ばしゅっ」と破裂して、乾いた粉みたいなもんになってましたね。

そして、エビを食う人間も。(あんだけ太かったら、食べごたえがあるだろう)
そして、人を食うエビも。(幼虫みたいなもんもいた)
そして、エビ体実験(?)。
いくら宇宙人とはいえ、人権というものがまったくないという。
この辺が、「PG12」なんでしょうかね。

わたくしが気に入ったのは、MNUに忍び込んで「液体」を奪い返す場面で、
主人公のヴィカスが、エビのクリストファーに言う「坊やのことも考えろ!」のひとこと。
エビのクリストファーは父親、ヴィカスは良き夫なわけです。
クリストファーはなにかと息子の事を気にかけているのですが、
ヴィカスは腕を治すため、自分のことばかり。
でも時々、クリストファーやその子エビのことも考えます。
ただ、それにも限界があって、
最後の方で、クリストファーに銃をつきつける傭兵に
「そのエビ(クリストファー)は、くれてやるから、俺は見逃してくれ」
みたいな事を言っちゃいます。
とかなんとか言っちゃって、助けるための作戦なんじゃないのー、と思ったのですが、
ほんとに逃げた!(あとで考え直すのですが)。
その辺が、この男の限界かな、と。

それでも、子どもをはさんで、男同士の絆をみせてくれてるわけで、
あの約束、しっかり果たしてくれるよな、クリストファー、と思うのであります。
そして、ヴィカスはもう少し、他人の事を考えられる人間(もしくはエビ)に
成長するのでしょう。

さて、あのエビの「猫まっしぐら」は、いったい何?
銃撃戦になっているのに、猫缶が投入されると大混乱(笑)
おもしろい! けど、この映画「どうしてそこだけ、そうなの?」とか、
「え、なんで一緒にいかないの?」とかいろいろ言いたくなるところが満載。
でも、愛すべき映画なのは確か。
そう、あの「パワードスーツ」は1機しか出てこなくて残念だけど、
撃たれた弾丸をどうにかしちゃうところは、「マトリックス」を超えてますねー。
ヴィカスが見ているであろう、操作パネルみたいなもんも、なんか新しく見えました。

「トランスフォーマー」とか観てきゃっきゃと喜んでいる男子にとっての
「僕らの映画」って感じですかね。男子は必見と言っても過言ではありません。
ただ「トランスフォーマー/リベンジ」の方は、観れば観るほど頭が悪くなりそうですが。

「豊平文庫」を使い始めた。

青空文庫というのがある。
同サイトによれば、(以下引用)
  青空文庫は、利用に対価を求めない、インターネット電子図書館です。
  著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、
  テキストと XHTML(一部は HTML)形式でそろえています。(引用おわり)
というものだ。

専用のソフトを使用して、まるで本物の本をめくるように読む事ができるようだが、
わたくしは使っていなかった。だって、長時間パソコンで文字読むの疲れるし。

ずいぶん前に、仕事中あんまり暇だったので、
ジョナサン・スウィフトさんの「ガリバー旅行記」のデータを使って、
InDesignで組版して画面で読んでいたことがあったが、それきりである。

発売が予定より1ヶ月遅れて5月末になったiPadなどのおかげで、
EPUBとか「電子書籍」的なものが最近話題なんじゃないかなー、と漠然と思っている。
天下のMicrosoft様も、Word文書をDAISY形式に変換するアドインを無償配布し始めたし、
とか思って、電子書籍のことをいろいろ調べてみたら
「i文庫」だの「豊平(ほうへい)文庫」だのいう、iPhone/iPod Touch用アプリを発見!
おお! これで青空文庫が読めるじゃん! と思い、安い方の「豊平文庫」を購入(115円)。

夢野久作さんの「ドグラ・マグラ」などを入手した。
「いつか読みたいなぁ」と思っていた古い作品を気兼ねなくダウンロードでき、
いつでも読めるという、夢のようなアプリじゃん!

2010年4月12日 (月)

「アイアンマン」の行動について息子と話す。

小学3年生の息子。映画好き。ロボットとか、そういうのも好き。
最近は、自分で考えた武器などについて、あーだこーだと絵を描いたり、説明したりする。
今日も「新しい武器を考えた」と言い、「銃剣から剣をとった銃」とか
「弾がついてるベルト」とかについて話をしてくれた。

そんな話をしているうちに、なぜかはわからないが、
「戦争は、やめた方がいいじゃん」みたいなことに発展。
で、そのために「武器を持っている悪者に、すごい武器をみせて、
戦争をやめさせればいい」と言った。
おお! 「抑止力」ってやつですね! エラい!?

「がちゃがちゃの空いた丸い入れ物にさ、火薬を入れるとエコじゃない? だって、
がちゃがちゃって、空いたら普通捨てるじゃん」とも。
わたくしは「なにがエコじゃいっ!」と思ったが、ツッコミは控えた。

「エコ」とか言ってるので、話をもとに戻すため、
息子がのってくるかと思い、クレヨンしんちゃんの「大人帝国の逆襲」の例を挙げ、
「みんな銀玉鉄砲とかで戦って勝ち負け決めればいいのになー」とネタ投下。
ついでに「アイアンマンはどうして戦ってるかわかるか?」と聞いてみた。

アルカイダに武器を提供してきたアメリカが逆にテロの標的になってしまって云々…という
ような映画の背景にありそうな話ではなく、
「自分がつくった武器が、子どもや女の人を殺してるのを知ったアイアンマンが
これではいかんと思って、武器をぶっこわして回っているのサ」と説明した。
そこで、息子はとてもスルドイ質問を投げかけて来た。
「そういう時に武器を使うのって、いいの?」って。

「ま、状況にもよるわな」。
「そうだよね、状況にもよるよね!」

「抑止力」まで自分の力でたどりついた息子である。
わたくしがわからないことも、いずれ、わかるような人になるのだろうね。
この世から、武器なんてなくなっちまえばいいのに、というのは、
とっくの昔に、幻想になっちまったのね。

キリンって、でっかーい! ホント!

「木下大サーカス」に行ってきました。
いやもう、キリンがでかい!
わたくし、ひょっとしてキリンを見るの初めてかも?
でかいでかい。びっくりした。

ライオンもでかい!
思ってたより3倍くらいでかい!(なんじゃそりゃ)

動物って、大きいんだな。
襲われたら、やられちゃうよ〜。

2010年4月11日 (日)

勝手に許されるな!「シークレット・サンシャイン」。

映画評論家町山智浩さんは、映画を観て持つ感想というのは、
観ている人の考え方をそのまま投影するのだ、というような事を言っていた。
(ライムスター宇多丸さんとの「ハート・ロッカー討論」のPodcastによる)

わたくしは、それについて「あ、その通りだな」と思った。
「ハート・ロッカー」についても、
家族の事を大事に思っている人にとっては、戦場に帰る主人公を
とんでもないやつだと思うのだろうし、というような事を言っていたが、
小さい子どもがいるわたくしは、「おいおい、赤ちゃんと嫁さんはまた置いてけぼりかよ」
と少し思った。

そんなわけで、「ミスト」とかはとんでもない映画であるなぁ、許せん、と思ったわけで、
とはいえ、「一家心中」というのはこのような心理か、と考えたりもした。
また、「パンズ・ラビリンス」なんかは、ファンタジーの世界は「実在」して、
あの少女はほんとにお姫様にでもなっているに違いない、と考えなければ、
わたくし自身が救われないのである。

そういうわけで、DVDを借りて観た「シークレット・サンシャイン」である。
忘れないように、途中までのあらすじを書く。

母(シネ)は、夫を亡くし、息子(ジュン)とともに、夫の故郷である「密陽」に引っ越す。
(いろいろあって、いろいろな人が出てきて)息子が誘拐(身代金目的)され、殺されてしまう。
立ち直れないシネを宗教(キリスト教)が救う。
信仰を深めたシネは、息子を殺した犯人を「許す」ことを決意。刑務所まで面会に行く。
そして面会。やたらと血色がよく、おだやかな表情の犯人。
「神の恩寵があることを伝えにきた」というシネ。
しかし犯人も服役後、神に出会い、信仰を深めていたという。
そして犯人自身が「神がわたしのような罪人の前にあらわれ、その罪を許した」と言う!


おいおい! 勝手に許されるなよ! というのがわたくしの感想。
その時のシネの表情も「え?! 何? 今、何かすごいこと言わなかったか?」みたいな顔。
はっきり言って、わたくしは許さんぞ!

この場面は、140分ほどあるこの映画の、だいたい90分くらいのところ。
その後、シネはいろんな事になっていく。
この先が問題なんだろうな、きっと。
子を持つ親として、「ああ、そうだろうな」と思うところもあれば
「え、その反応はないだろ」と思うところもある。
だけど、それだけぶっこわれてしまうのは当然だろうなぁ。

この映画は、画面がからにじみ出てくるものがものすごく多いような感じがしました。
みなさんの表情(顔)がいいのです。
最初の方で、ジュンがふざけて隠れているのをシネが泣きまねしながら探すという
シーンがあるのですが、ジュンが出てくるときの表情がたまらんです!
あとは、あの男ですかね、ソン・ガンホさん。
しかしなんですな「俗物」と言われて大爆笑している、ありゃ、いい男ですな。

2010年4月 9日 (金)

東京創元社は「モトヤ明朝」がお好き?

桜庭一樹さんの「製鉄天使」(東京創元社)を読み終わる。

「赤朽葉家の伝説」に出てきた、レディースを取り巻く話なのか?
「伝説」の内容はきれいさっぱり忘れてしまったわたくし。
しかしながら、「製鉄天使」を読んでいると、同じ話? だけど「赤緑豆」だし、
とか思って、気になる気になる!
見えない兄の話だとか、お母さんの話だとか、「スミレ」の存在とか、
なんとなーく、「あ、そういう話があったような」というのの連続で…。
いや、もう、申し訳ない…。
憶えてなくてすみません。

今後は、そんな事がないよう、このブログに記録していこうと思っているわけだが、
いちいちあらすじとか書いておくのも面倒だし。
いわゆる「オチ」とか書いちゃうと、各方面に迷惑かけそうだし。

本のうしろに、既刊の広告が載ってるんだけど、
そこに以前読んだ、アンドルー・クルミーさんの「ミスター・ミー」も。
あ、これはたしか「モトヤ明朝」使ってるやつだった。内容は忘れたけど!

というわけで、この「製鉄天使」も本文は「モトヤ明朝」なんである。
東京創元社は、ホントにモトヤが好きなのね。

2010年4月 8日 (木)

騒音などに関連したアメリカン・ジョーク。

時々、通勤電車でガムをくちゃくちゃ音をさせているおやじがいる。
どちらかというとPodcastを聴いていることが多いわたくしなので、
そういうのにはあまり出会わないのだが、
今日は、今週から読み始めた桜庭一樹さんの「製鉄天使」が佳境に入って来ているので
Podcastを中断して読もうかと思ったら、ガムおやじである。

こんなジョークがある。
車中、ガムをくちゃくちゃ音をさせてかんでいる若者に、
隣のおばあさんが
「どうぞ、続けてくださいな、わたしは耳が聞こえませんから、
全然気になりませんよ」

うちの嫁はテナー・サックスを吹く。

こんなジョークもある。
アパートの、上の階の住人が夜中にサックスの練習をしているのでうるさい。
ほうきの柄で天井をどんどんたたいて抗議したが、まったく練習をやめない。
その夜はまったく眠れなかった。
翌朝、上の階の住人に「おい、夜中におれが天井をたたいていたのに気づかなかったのか?」
それに答えて上のサックス吹きが
「ああ、気にすることないさ、俺だってサックスの練習をしてたんだからな」

2010年4月 7日 (水)

「ハート・ロッカー」の音楽がつくるトーン。

アカデミー賞の授賞式で、監督のキャスリーン・ビグローさんや
脚本のマーク・ボウルさんのスピーチを聞いてちょっと気になったのは、
声高に「戦争反対」とか「米軍はとっとと世界から撤退しろ」と言わなかったことです。
まあ、英語わかんないし、NHKがつけた字幕を読んだ限りでは、ってことなので、
実はめちゃくちゃ「戦争反対」的なことを言ってたとしたらごめんなさい。
それとも、ああいう席では政治的発言はすべきでないと考えているとか?
(このあたりは推測とか、わたくしの勝手な解釈なんですが)

お二人とも、「取材で協力してくれた兵隊に感謝」とか「今でも駐留している人たちや
亡くなった兵士、その遺族に捧げます」みたいなニュアンスのことを言ってました。
思いっきり「リダクテッド」的な戦争の嫌な面を見せる「反戦映画」だと思っていたわたくしは、
あれ?「ハート・ロッカー」って、どういう映画なんだろう? と微妙な感覚に。

というわけで、この前の土曜日、電車に乗って遠い遠い映画館まで行ってきましたよ!
その映画館では一番でかいスクリーンで上映しているとのこと。定員も500人!
ちょっと期待させるではないのー、と思ったのでありますが、
どうでしょう、10人くらいしかお客さんいなかったのではないでしょうか。
公開から日にちがたっているからなんでしょうか、それとも全然売れてない?

さて、観てみると。
なんだか、ひたすら暗い雰囲気の、不穏な映画でした。
アカデミー賞の作曲賞にもノミネートされていましたが、
あの音楽が非常に不気味で、映画全体のトーンを決定しているような気がしました。
アカデミー賞授賞式で、作曲賞ノミネート作を紹介するところでは、
ダンサーがノミネート作をバックに踊る、という舞台を披露していましたが、
この「ハート・ロッカー」のところは、とっても不思議な、変な動きのダンスで、
これまた、「なんか気持ち悪いなぁ」というもので、映画の不気味トーンと通ずるものがありました。

ただ、映画が終わる直前、ばりばりのハードロックがかかり、主人公が颯爽とイラクに戻る、
というのは、なんか変だなぁと感じました。
ま、その後のクレジットで例の暗ーいテーマがかかるので、また、いやーな事を思い出すわけですが。
主人公には「爆弾テロのあった市場で女性や子ども59人が死んだ。だから爆弾処理班が必要なんだ」と
言わせているので、「使命感」ってことなのかもしれませんが。

ところがですね、違和感をもった、このハードロック、実は意味があるんだそうです。
TBS Radioの番組「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」での
宇多丸さんの評論に反論があるとして、映画評論家町山智浩さんが
Twitterでいろいろ書いていたのをきっかけにお二人の討論があり、
それがPodcastで配信されるという事態に発展しているんですが、
そこで、わたくしが全くしらなかった、その曲の歌詞とか意味を知ることになりました。
(映画では歌詞が出る前に曲はきられるのですが、それも意図的なのだとか)
町山さんが「ネタバレになるから」という理由で今まであまり語ってこなかったそうなので、
わたくしもあえて書きませんが、
この曲はMinistryというバンドの "Khyber Pass"という曲なんだとか。
映画を観たあとで、歌詞など調べてみるとよいかもしれません。

町山さんの見解によると、「はっきりわかるように批判をすると叩かれるから」
という理由で、「わかる人にはわかる」ようにメッセージが込められているのだとか。
また、そうでなくてはアカデミー賞はとれなかっただろう、とも。
そうなると、先のアカデミー賞授賞式でのスピーチに、わたくしが抱いた感覚も
同様な理由なのかな、と思ったりしました。

中盤の「軍医」が爆死後、ヘルメットが転がっているシーン。
その前で、「ヘルメットに焦げた髪の毛がべっとり」と言うやりとりがあったので、
てっきりそういうもんを見せるのかと思ったのですが、意外と「スルー」。
(これについては、宇多丸さんも同じ感想を持ったようです)

バレッタの狙撃シーンは、めっちゃすごかったです!
時間がゆーっくり流れ、しーずかに進み、でも、ものすごい緊張感!
なんか、このシーン長くなりそうだなぁ、と予感がして、まあその通り長いんですが、
長くてよかった! いや、長いからいいのです!
だんだん「チームワーク」が出来上がってくるのが伝わってきて、
「よくやった」と思わせられます。

ところで米兵というのは、仲間意識が芽生えると、べろべろに酔っぱらって、
お互いのお腹を殴り合ったりするのでしょうか?
そして、やつらはあんだけ呑んでおきながら、
二日酔いとかには、ならないのでしょうか?

2010年4月 6日 (火)

「ダブル・レインボウ」に、わたくしばっちり映ってます!

昨年夏、日比谷野外音楽堂でおこなわれた「山下洋輔トリオ復活祭」。
わたくしも、がんばって駆けつけたわけですが、
そのライブの模様がDVDになり、先月発売されました。

「ダブル・レインボウ〜結成40周年記念!山下洋輔トリオ復活祭ライヴ」。
一緒にいった「丸市」さんが「映ってるかも」と期待してましたが、
ばっちり映ってますよ! きょえー。

坂田明さんが初登場。「バンスリカーナ」を演奏する直前です。
客席が映るのですが、そこに満面の笑みをうかべたわたくしたちが!
もう、にっこにっこで、ばちばち手をたたいて喜んでます。
喜んでます!

どんどん、トリオのメンバーが登場、そしてついに坂田氏までも!
という喜びの場面なのであります。
ほんと、あの時は、すべてのことに喜んでましたよ。思い出すなぁ。

それにしても、第2期トリオで最初にやった「クレイ」の始まり(テーマ)がぐだぐだだなぁ。
山下さんと森山さんの感覚は同じような気がするが、坂田さんがちょっと…。
解散後、メンバーそれぞれが様々な活動をし、それぞれの「体内時計」みたいなものが
できてしまって、久しぶりに会ってみたが、なかなか昔のように「3人時計」にならなかった、
ってことなのかなぁ。

とはいえ、「あこがれていた、自分がうまれるずいぶん前におわったはずのもの」が復活し、
この目で見られるなんて、思いもよりませんでした。
あの時、武田和命さんの代理として演奏していた菊地成孔さんが
「自分はファン代表」と言ってましたが、それがとってもうらやましくもあり、
「そうだそうだー、いえーい!」と喜んだのであります。

2010年4月 5日 (月)

耳から毛が生えてきてるんですけども。

ふとんでごろごろしていたら、息子が
「おとうちゃん、耳から長い毛が生えてるんだねぇ」といった。
どれどれ、とつまんでみると、うーむ。長い毛が耳の中から出ている様子。

床屋へいくと、耳の中に毛が多い、というようなことを言われ、
はさみでちょきちょきされることもあったが、こんなに手応えがあるほど
のびているとは!

「川内康範みたいになったりして、ぎゃはは」とか言っても子どもには通じず。

春だからでしょうか。なんでも伸びればいいというものでもなかろうに。

2010年4月 3日 (土)

「夏への扉」(新訳版)。

ロバート・A・ハインラインさんの「夏への扉」(新訳版)。
日本では1963年に翻訳・出版された小説。
2000年が、未来のこととして出てくる。
SFの古典ということで、読んでみました。

この小説だけでなく、
タイム・パラドックス的なお話は、考えても考えてもわからなくなる!
だからわたくしは「そういうもんだ」と思うことにしている。

「タイムトラベル専門サイト」というのを発見。
パラドックスについて、解説をのせていたので「ふーむ、なんと宇宙は都合良くできているのか」と関心。

小説には、
タイムトラベルで移動した先に物体があると、大爆発を起こす、という記述があるが、
これはどうしてだろう?
筒井康隆さんの小説にもちらほらとそのようなお話があったと記憶しているが、
こういうのは、常識なんでしょうか。

さて、フォントの話。
カバー、帯が小塚ゴシック。本文はまたまたイワタ明朝オールド。
小塚は、かながどうもクセものだと思っているのだが、
細いやつはすっきりしてて、
最近見慣れたこともあってか、この「新訳版」にはふさわしいのではないかと思う。

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