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2010年5月の記事

2010年5月31日 (月)

「ノダウノダウ」って何ですか?

HALCALI(HALCAさんとYUKCALIさん)の新アルバム「TOKYO GROOVE」発売を記念して(?)
2003年のファーストアルバム「ハルカリベーコン」を借りてきました。

名曲揃いですねー。
そして、時代を感じさせる歌詞!
2002年サッカーワールドカップとか、ハリーポッターとか、すごいです。
まるで同級生と昔話してるみたいですがな。

一番のお気に入りは「嗚呼ハルカリセンセーション」なんですが、
ここででてくる「ノダウノダウ」って何ですか?
この部分がとってもいいんですが、意味がわかりません。

5月24日の「大竹まこと ゴールデンラジオ!」での京極夏彦さんが面白かった件。

5月24日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」
ポッドキャスト「大竹メインディッシュ」。
ゲストは作家の京極夏彦さんでした。新刊「死ねばいいのに」のお話でした。

「死ねばいいのに」はiPad版やiPhone版が700円(6月11日まで、12日からは900円)
で発売されるというのが話題ですが、
これは、わたくしにとっての「iPadの必要性」を感じさせる出来事です。
音楽CDをiTunesにじゃんじゃん放り込むことの便利さがわかってしまったわたくしにとって、
本をiTunesにじゃんじゃん放り込む、というのことがどれほどすごいのか、というわけです。
「豊平文庫」のことは以前にも書きましたが、iPhoneやiPod Touchでは画面が小さいですし、
やはりiPadは画面が大きいそうですから、本物の本とくらべて、その点では遜色ないんでしょう。

京極さんがInDesignで組版しているというのは有名な話です。
そういう京極さんが、自作を電子書籍データに落とし込む、というようなことは
抵抗なくできるということなのでしょうか。
ただ、京極さん自身が今回のアプリ「死ねばいいのに」の「体裁」を
どう考えているかはわかりません。
ポッドキャストでは「テキストそのものに価値なんてない」と発言していました。
DTPに詳しい京極さんの発言としてとらえるなら、これはあくまでも
データが「プレーンテキスト」であるという意味にとるべきだと思います。
つまり、書体をきめ、版面をきめ、というような組版の処理を施し、
印刷、製本すべて含めて、本になってこその価値なのであるということでしょう。

そこまで含めたものをつくってしまうという、
職人京極夏彦の性質が、そういう発言をさせるのでしょうか。
たしかに、書店に並んでいる「死ねばいいのに」を見ると、
所有したくなるような立派な商品になっています。

番組で大竹まことさんのパートナーをつとめる阿川佐和子さんが、
「『死ねばいいのに』が電子書籍として配信される」と言ったことにたいして
京極さんが「配信じゃありません」と指摘したり、
「紙の本がなくなるという声もあるようですが」との阿川さんにたいして、
「そんなことはない」と断言していました。
「紙の本がなくなる」というのは、なんかうんざりするほど良くでる話ですね。
京極さんは「国が紙の使用を禁止するか、全国民にiPadを配布するかすれば、
ひょっとしたらなくなるかもしれない」と言ってました。

わたくしはiPadを持っていないので、「死ねばいいのに」は、紙の本を買ったわけです。
将来、iPadを手に入れたら、書籍もデータで買うのかもしれません。
図書館で電子書籍を貸し出したり、
レンタルCDみたいに「レンタル電子BOOK」みたいなもんができたらいいのになぁ。

2010年5月25日 (火)

「アポカリプト」を子どもに観せられない理由。

2006年、メル・ギブソンさん監督の映画「アポカリプト」。
やっと観ました。

以前、「子どもに観せてもいい映画」について考える。の記事で
「アポカリプト」は小学2年生(当時)の息子と観てもいいのか? と書いたのですが、
今回、自分だけで観てみて「これは、やめておいた方がよいだろう」との結論が出ました。

それはなぜか?
正直なところ、映画自体に問題があるというよりは、
「アポカリプトを観た」と子どもが言う事によって、
「それはいかんだろ」と思うであろう大人が多そうだから、です。

要するに「そんな残酷な映画を子どもに観せるとは、けしからん」という反応があるであろうことは、
容易に想像がつくので(とはいえ、そこに至るまでが、ものすごく限定された状況であるとは思うが)
そういう面倒なことになるのがいやなので、子どもには観せられないな、と思ったわけです。

いわゆる「残虐シーンがもたらす悪影響」については、根拠のあるデータは知りませんし、
肯定否定どちらもあると聞いています。
以前も書きましたが、わたくし自身は経験上「悪影響はない」とは思っています。

ところで、今日、寝る前に5歳の娘に「あかずきんちゃん」の絵本を読みましたが、
これがいかに残虐であるかはご存知かと思います。
おばあさんとあかずきんを飲み込んだオオカミは、猟師に腹をはさみで切り開かれ、
中にじゃがいも(石の場合もある)を詰められ糸で縫われ閉じられてしまいます。
その重みで結局オオカミは溺死してしまい、
おばあさんと猟師とあかずきんちゃんは「オオカミをやっつけたぞ!」と喜ぶ、というお話なのです。
絵本では、切られたオオカミの腹からは血も出ていないし、内臓も出てきません。
腹の縫い目はまるでぞうきんのようです。
そこはさっぱりしていて、残虐性が読み取れるような絵ではないのですが、
5歳の娘は「おなかをはさみで切ったら血が出て死んじゃうよね」とわかっています。

やってることは同じだなぁ、と感じたわけですが、
「アポカリプト」には眉をひそめ、「あかずきんちゃん」はよしとする、
そういう風潮はあるはずです。
まったく思考停止とはこのことだ、とは思いつつも、
実はそういった反応が大半なのでは? と考えています。

そういったことにいちいち反抗して、面倒なことになるのもいやですね。
というわけで、わざわざ「アポカリプト」を小学3年生の息子に観せる必要もないでしょう。
映倫のレイティングでは「R15」。15歳未満は観てはいけない、との指定でした。

さて、映画そのものはどうだったかというと…。
ずーーーっと、眉間にしわをよせて観てました。痛そうだし、つらいし。
これほど、観ていて苦痛な映画はほかにないですね。
「苦痛」というのは「つまらない」という意味ではありません。
後で知りましたが、この映画の歴史的解釈だとかに関して、かなりの議論がある様子。
ラストの意味するものについても
「新たな暴力の予兆」「メル・ギブソンの宗教的言い訳」などとさまざまに分かれていて、
映画って深いなぁ、と改めて思ったりしました。
このような事を知りたければ、観たあとで勉強するしかないですね。
でも、こういった背景があることすら気づかずに映画を観おわる、
ということも多いのかもしれません。
わたくしの子どもには、ただおもしろがって観るのもよいが、
たまには、こんな映画もあるんだと気づいてほしいし、
できれば、その映画をこてんぱんにするくらい勉強するようなことがあってもいいかな、
と思うのです。

2010年5月23日 (日)

サイモン・シンさんの「フェルマーの最終定理」は、すごい!

サイモン・シンさん「フェルマーの最終定理」。
もう10年も前の本なんですね。

この前「代替医療のトリック」を読んだので、
その勢いで、ってことなんですが、いやぁ、実におもしろかった!
久々にいい本だなぁ、と思いました。

3世紀もの間、証明できなかった数学の問題「フェルマーの最終定理」が
1993年以降、アンドリュー・ワイルズさんによって証明されるまでの諸々を書いています。
ホントに興味深く読め、あまりの面白さに読んでいてにやにやしてしまうほどでした。

アダム・ファウアーさんの「数学的にありえない」という小説があります。
こちらは「確率」から始まる諸々の事件がお話の軸で、
実に映画的展開の「めちゃくちゃ話」なんですが、
「量子論」(これが正確な表記かどうかはわからないけど)とか
「ラプラスの悪魔」とかいう、実に興味深い事をちらほらと解説してくれてる部分は
すごく楽しめました。

この「フェルマーの最終定理」は、「数学的にありえない」で
わたくしが楽しんだような部分の連続なわけです。

「ミレニアム2」ではリスベットが
「フェルマーの最終定理」に取り組む(?)という設定がありましたね。
彼女はどうやら理解したようです。
しかも、ワイルズの証明ではなく、フェルマーがどのように証明したのか、について
ひらめいたような記述もありました。
(フェルマーは「証明できる」と書きつつ、その証明自体は示していない)

あ、わたくしは証明を理解したわけじゃないですから!

2010年5月22日 (土)

「月に囚われた男」は地味なところが良い。

映画「月に囚われた男」は、名古屋では1館しか上映していないSF。

地球の資源が尽きたため、月の裏側から燃料(ヘリウム3)を採掘する会社「ルナ産業」。
「ルナ産業」との3年契約で、月に派遣されたひとりの男サム・ベル。
ほかにそこで働いている人間はいない。
採掘場の基地(?)にはロボットのガーティがいるのみ。
ある日サムは、月面車を運転中、巨大な採掘機と衝突事故を起こしてしまう…。
医療室で目覚めたサム。事故を起こした月面車に戻ってみると、
自分と同じ顔をした男がひとり、怪我を負って月面車の中にいた…。

というようなお話。
その男の謎だとか、ルナ産業がどうも怪しいだとかいう、お決まりの流れなのだけど、
全編を通して、それほど派手な出来事や衝撃の展開があるわけでもない。
同じ顔のふたりの「サム」がいるという異常な出来事が起きるわけだが、
お互い思ったより冷静で(けんかもするが)、意外と日常が淡々と繰り返されていた。
ふたりが謎に迫るような行動も起こすが、まあ、普通の「謎とき」に落ち着くし。

だけど、それらの地味な感じが、この映画を手堅いものにしているなぁ、と感じた。
なんせ、月面基地という閉ざされた施設で、人間ふたりと、ガーティだけだし、
任務はいつものことだから、それほど「刺激」を与える要因もない。

映画なら、なんかびっくりするような事を「起こしたく」なるんだろうけど、
そこは、しない。
「もうひとり、自分がいる」というような驚愕の事態だけど、
実は人間は、複雑な感情を経て、意外に早く日常に戻るのかもしれない。
だって、ご飯食べたり水飲んだり運動したりするでしょ。
そこを描いているわけです。

観おわったあと、「よかったなぁ」と思ったのはガーティの「行動」。
この手の、宇宙で主人公をサポートする、なにやら曰くありげなロボットとか知能とかいうと、
「HAL9000」や、「ウォーリー」の「AUTO」など、巨大な産業(企業)を背景にもち、
主人公などが「企業の論理」の犠牲になってしまう、企業に加担する存在を思い浮かべる。
この映画のガーティは、ちょっと見たところ、「ルナ産業」寄りだし、
主人公の存在を顧みないような冷徹なコンピュータに感じるが、
ある時点で、ガーティの行動の基礎として「サムを手助けするのが任務」であるというのが
原則であるとわかり、実に味わい深いロボットとなる。
それも、これみよがしではなく、実に地味なのである。
(声はケビン・スペイシーさん)

お話の流れはだいたい想像がつくし、
なんかつじつまあわねーじゃねーか、と思ったりするところもあるし、
月面の様子がものすごく安っぽいので、ひょっとすると評価が低いのかもしれない。
だけど、「日常」というのが人生の大半であり、派手な出来事とかいうのはそんなに起こらないし、
起こったとしても、意外に人間は早く日常に戻っていく、という手堅さだとか、
ガーティのようなロボットに抱く一般的な感情を裏切るところなどは
地味なのだけど、そこがいいんじゃないか、と思ったのであります。

2010年5月20日 (木)

スピーカーのエッジを修理。

ゴールデンウイーク中のお話である。

3月頃、我が家で使用しているスピーカー「ONKYO D-77RX」のエッジが
ぼろぼろになっているのに気づいた。

Img_7261

と、エラそーなことを書いているが、そのとき「エッジ」などとゆー言葉を知っていたわけでなく、
「げ、なんじゃこりゃ!」と気づいてからいろいろネットで調べたわけで、
実は発見時に「ぶっこわれたー」とかなりの衝撃を受けたほどシロートなのである。

そんなわけで、いろいろな人のブログなどが手助けになったため、
わたくしも、今後誰かのお役に立つであろうかと、本件記事である。

まず、エッジというのはですね、スピーカーの丸いところのフチの部分ですね。
わたくしのはゴムみたいな感じで、それが劣化してひび割れて、
穴なんぞ空いていたりしたわけです。
これを修理してくれるところもあるようですが、1本あたり2万円近かったです。
で、結構たくさんの人が修理キットを取り寄せて自分で修理した、との情報も!
その場合、1本2万円もしないわけでして、
わたくしの場合は2本あわせて6千円くらいでしょうか。新しいエッジと、ボンドのセットでした。

今回、北海道にあるらしいファンテック株式会社というところからキットを購入。
とても親切な説明書までついていました。

2本修理するのに、1日あれば十分だと思います。
一番難しかったのは、古いエッジをきれいに取り除くことでした。
ボンドでしっかりくっついていたので、大変でした。
これにはあらかじめ、マイナスドライバーなどをそろえておいた方がよいでしょう。

実は、エッジと本体との接着面の間(?)に厚紙のようなものがはさまれていて、
これもはがしていいものかどうか迷ったのですが、
結局最初の1本はこの厚紙も取り除き、もう1本はつけたまま、としました。
あまりにも取り除くのが大変で、「ひょっとしたら、これはそのままでいいのかも?」
と思ったのと、面倒になったからなのですが、どちらが正解なのかはわかりません。

新しいエッジを接着し、スピーカーを組み立てなおし(これは簡単)、
ボンドが乾いてから音を鳴らしてみると…。

嫁いわく「お利口な音がする」。

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2010年5月19日 (水)

「代替医療のトリック」。

ずいぶん前のTBS Radio「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」で
同番組の構成作家である古川耕さんが推薦していた
サイモン・シンさんの「代替医療のトリック」を読んだ。

古川さんはわたくしと同年齢。その仕事っぷりは「すごいなぁー」と思わせるものがある。
以前、高野陽太郎さんの『「集団主義」という錯覚―日本人論の思い違いとその由来』という
本を紹介していたので、図書館で借りて読んでみたが、いやもう、すばらしい本だった。

普段からひねくれている自分がさらにひねくれて、しかも理論武装できるという(!)。
情報が、いろんな種類の「バイアス」によって処理されているため、
実際の出来事とは異なった見方をされてしてしまうという。
今まで、ぼんやりと、頑固おやじの屁理屈みたいな感じでしか表現できなかった
「そんなわけねーだろ」というのに、「なんとかバイアスで」という協力な味方が出現、って感じ。

そういうわけで、古川さんのおすすめの本「代替医療のトリック」も借りてみた。
ここにも臨床試験の結果の解釈について「バイアス」がある、というお話が出てきた。

さて、「代替医療」とかいわれても、あんまり関係ないなー、と思っていたのだが、
「鍼」だとか「カイロプラクティック」だとか「ハーブ療法」だとかいわれると、
まったく無縁ではないな、と。
「ホメオパシー」のことも書かれていたが、
現在の自分から考えるに、「ホメオパシー」に手を出すというようなことは考えにくい。
しかし、家族の誰かが手を出すかもしれない。
また「鍼」については、ひょっとしたら自分も治療を受ける気になるかもしれないし、
家族の誰かが、現在も鍼治療を受けているかもしれない。
花粉症の症状をやわらげるという、サプリメントも購入したりしている。

で、この本で知ったのは、それらが代替医療といわれ、
精密な臨床試験の結果、ほとんどが「プラセボ効果」以上の効果がないということ。
また、場合によっては、危険すら伴うということ。
直接的な危険だけでなく、主流の医療を受けるという選択をしなくなる、
という危険もあるのだという。

こういう本に関しては、よくある「アンチなんとか」的ヒステリックな本かと思うかもしれないが、
これは、非常に冷静に、「科学的」にそれぞれの代替医療を評価しているように受け取れて、
信頼できると思う。

ハーブと聞くと、なにやら「自然だから安全」と考えてしまっていたのだが、
そりゃ、危ないよ、っていうこともわかった。
素人っぽい整体みたいなのも危ないなぁ。

やっぱり、ちゃんとしたお医者さんに診てもらったほうがいいのね。

2010年5月18日 (火)

子どもたちと、わらび採り。

5月16日、ことし3度目のわらび採りに。
昨年、自宅周辺の「穴場」を発見、この時期はわらびを採りに行っている。

この日は小学3年生の息子と自転車でポイントにでかけたが、
たくさん出ていたので「次の人のために」残しておくくらいだった。

そろそろ灰汁取りにも慣れてきたが、
料理のレパートリーがひとつしかない(!)ので、
ここは考えるべきだろう。

どうやら最近、子どももわらびを食べられるようになったようなので、
採りがいがあるというものだ。

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2010年5月16日 (日)

月と金星。

5月16日。晩ご飯のあと、お花の水やりに子どもたちと外にでたら、
小学3年生の息子が「あっ、月と星が!」。

かなり細い月とたぶん金星が。
子ども達と写真を撮ってみました。が、難しい。

実は、わたくしは小さい頃、天文少年で、「天文ガイド」を購読して、
そこに載っている天体望遠鏡の広告をよだれをたらしながら見ていたのであります。

お小遣いをためて、いずれは立派な天体望遠鏡を買いたいと思っているわけです。

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「シャッター アイランド」。

5月8日、「シャッター アイランド」を観てしまった。

予告とか宣伝で、「謎解きに挑戦」とか言って、
登場人物の表情やセリフを見落とすなとかいう「注文」がやたら多いのがおもしろいですね。
映画が始まる前も、錯視っていうんですか、たとえば平行な同じ長さの2本の直線の両端に、
内向きの矢と外向きの矢がくわわっているのをみせて、どっちが長くみえますか?みたいなもんを
みせて、いかに脳が信用ならないか、というような説明をしてくれるんですが、
いや、映画観てみると、そういうのはまったく邪魔になって仕方なかったです。

どうやらいろいろな人のブログをみてみると、この「宣伝」に関しては「ミスリード」であると。
まったく、同感です。

筒井康隆さんの小説に「ロートレック荘事件」というのがあります。
小説というのは、文章なわけですが、その文章をわれわれはどのように読んで理解しているのか?
そこのところを逆手に取るというか、文章って、実はいろんな読み方ができる、
ということを「トリック」にした小説です。

で、「シャッター アイランド」。
自分が観ている映像は、脳がどのように処理し、理解するのか? というような事を
問いかけるような、「ロートレック荘事件 映画版」みたいなものかと思ってたんですが、
そういうもんじゃなかったです。

とかいう「自分の思っているものと違った」というのは、まあ、どうでもよくて、
「絶対に教えてはいけない」と上映前に念をおされる、いわゆる「オチ」というのは、どんなものか。
言っちゃいけないので、書かないが、これはほんとの話だが、
この映画の話題になったときに「もしかして○○だったりして」と簡単に出てしまうような、
しかも「まさかそんな安易なことはないだろう」というようなものでして…。

そして、いろんな人がブログで書いていますが、背景との合成がひどい!
海とか森とか、火とか。
優しい人は、「これは映画のテーマからすると、わざとなんじゃないか」と書いていますが、
いやーーー、それはちょっと厳しいでしょー。

この映画でよいところといえば、ディカプリオの死んだ奥さんを演じているミシェル・ウィリアムズ
という人ですかね。あのぼんやりした感じがよいです。

2010年5月 9日 (日)

息子と「映画クレヨンしんちゃん 超時空! 嵐を呼ぶオラの花嫁」。

5月4日、小学3年生の息子と
「映画クレヨンしんちゃん 超時空! 嵐を呼ぶオラの花嫁」を観に行った。

しかしどうして子ども向けシリーズもの映画のタイトルは長いのか?
正式なタイトルがおぼえられない。

さて、クレヨンしんちゃんの映画。なんだか大人たちの評価が高い。
家族の絆が描かれていて、また、しんのすけも家族のためにがんばる。
大人は、その姿に感動するのだと思う。
わたくしが初めてクレヨンしんちゃん映画を観たのは「ケツだけ爆弾」とかなんとかいう
ホントに意味不明タイトルのものだったが、いやもう、号泣といっても過言ではない出来だった。
なんせ、父親(ひろし)が大活躍なんである。全力で子どもを守っているんである。
そりゃ、すばらしいとしか言いようがないでしょーに。

今回の「花嫁」も、やはり危機に陥ったしんのすけを、家族が助け合いながら救うという物語だった。
また、周辺の子どもたちも、それぞれの特性をいかした活躍をし、
無駄のないキャスト(?)となっていた。
なにせ、「ひまわり」が終盤で、それまで出番がなかったにもかかわらず、
びっくりするような登場をするところがいい。

子どもたちは、タイムスリップして未来へとばされてしまうが、
その仕組みについては、何の説明もなく、それが「普通」であるかのような印象をうけるのも、
「クレヨンしんちゃん」だから許されているわけで、
「タイムパラドックス」がどうのこうのとかいう問題もまったく起こらない。
そういう面倒なところはばっさり省く、というか、「なにか問題でも?」とすら思える設定にし、
かつ観ているこっちも、「当然でしょ」と思えるのは、
まったく「クレヨンしんちゃんだから」なんじゃないだろうか。

また、未来の自分がどうなっているか、それがわかってしまうということが、
いいことばかりじゃないんだよ、という描き方をされるのだが、
結局は、自分のあるべき姿はすばらしいと思えるような展開になっているのがよろしい。

冒頭、母親(みさえ)が押し入れから落ちそうになってくる布団の山をおさえ、
そっと手を離すが、もう落ちてはこないとわかったときにもらす「よしっ」という一言。
また、花嫁(希望)軍団(だったかな?)のうち、和装のひとりが、
どれだけ素早く動いても、走っている感じではなく、すーーーっと移動していた。
こういうギャグがあるから、クレヨンしんちゃんはすばらしいと思う。

ところで、オープニングが地味すぎて、ほとんどテレビと一緒なんだが、
もう少し、特別な感じを出してほしいなぁ。

2010年5月 1日 (土)

あやうく「人でなし」になりかけた「ミレニアム2」。

「ミレニアム2 火と戯れる女」。上下2巻。
副題の「火と戯れる女」は、どうでもいいような…。

そんなことより、翻訳者のヘレンハルメ美穂さん。
名前がハナモゲラみたいだなぁ、というのはどうでもいいことだ。

そんなことより!
「1」ですっかり「リスベット・サランデルっていう人はすごいなぁ」と
思ったわたくしにとって、この「2」はまさにツボ。
「1」と違い、今回の事件はリスベット本人に関わるものであり、
これまたいろいろと誤解されて大変な目にあってしまう。

しかしながら、主人公(?)みたいなもんが物語の途中で死んだり、
「やっぱり犯人でした」というような事はないだろうとの安心感もあり、
無邪気にリスベットを応援してしまいました。
そして、リスベットを支援する人々が物語に登場すると
やたらと「いい人」に見えるという。
「1」で培った「ミレニアム」の世界を土台に、とっても楽しめました。

で、そんな風に気を緩めていると、衝撃の展開に!
もし、第31章の終わり
「それが終わると、ザラチェンコはビールを開けた。
ニーダーマンはバスルームで何度も目をゆすいでいた。」
のところで、この小説が終わっていたとしたら…。
人でなしーーーーーっ! ってことになりますよ。
おまえは(映画)「ミスト」か! くらいの衝撃です。

が、続く第32章では、やはりというか、期待を裏切らないというか…。
まあ、この章がないと、「人でなし!」となっちゃうし、
あればあったで、「あー、やっぱり」ってなっちゃうかな。
でも、これでいいのだ!

身長が2メートルくらいある強いやつが出てくるんですが
多くの人が007に出てくる「ジョーズ」を思い浮かべるでしょう。
最後の方で、どうやらこいつは映画ばっかりみてる男子なんだとわかります。
そして、ホラー映画を「見すぎるほど見てきた」という彼が
ほんとに「ゾンビ(?)」を見てしまうという場面には大爆笑でした。

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