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2011年2月13日 (日)

「日常」の質が変えられる「ザ・ロード」。

「神戸連続児童殺傷事件」の被害者、土師淳君の父親である土師守さんの「淳」という本に、
そんなに長い事仕事を休むわけにもいかない、というような事が書いてあったかと記憶しています。
あんな事があったのに、しばらくしたら仕事に行かなければいけない。
それは当たり前、とは、わたくしは思えなくて、かなり衝撃を受けました。
容赦ない「日常」である、と思ったのです。

とんでもない事が起こったとしても、「日常」は戻ってくる。
というか、「日常」を続けなけらばならない。そういう思いを強くした一つの原因でした。

だから映画でも、夢のような成功を収めたり、大逆転が起こったり、
奇跡の生還をしたりしても、そのあとには「日常」が続くはずだ、
そういう事を考えて観ることが多いです。

ある時、スポットライトがあたったとしても、
それは長い「日常」という線の中の、ひとつの「点」に過ぎず、
それでも、時がたてば「日常」に戻り、それが続いて行くと思っています。

映画「ザ・ロード」は、コーマック・マッカーシーさん原作。
なぜかは知らないけど、ほとんどの生物はいなくなって、
わずかに生き残った人間の様子が描かれています。
非常に彩度が低い画面で、まさしく、未来がない感じが出ています。
主人公は父と子。このふたりがひたすら南に移動します。
父は息子に「われわれは火を運んでいる」と言います。

この映画で描かれる「日常」は、ちょっと異質です。それは、ほとんど世界が滅びているから。
文字通り、食うか食われるか、ということに代表される、原始的な「日常」。
通常考えられるものとは違う「日常」が続く映画といえます。
とはいえ、この映画の世界の中に生きる人にとっては、やはり終わらない「日常」。

長い「日常」の線の中に特異な点がありました、という話ではなく、
その線そのものが変質させられてしまった「日常」。恐ろしい話です。
でも、その質が変わったものでさえ、「日常」になってしまう。

最後に希望があるかにみえますが、わたくしは、まったく絶望しか感じられませんでした。
だって、やっぱりその後つづくのは変わらない「日常」なんだから。

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