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映画・テレビ

2014年1月 5日 (日)

「猿の惑星」序章としての「ゼロ・グラビティ」。

M109

M109
Kenko SE200N CR/バーダーRCC1
Canon EOS 40D(スターショップ新改造)
2013/12/31-2014/1/1 ISO800/10分2枚
2014/1/2-1/3 ISO800/8分2枚
いずれも長野県阿智村
タカハシEM-200/OAG9/Starlight Xpress LodeStar/PHD Guiding
CCDStack(試用中。ダーク、フラット補正、現像、コンポジット)
スライメージ6.5(レベル補正、デジタル現像)、Photoshop CC


どうせ右上にある2等星くらいの星のゴーストが出るだろうと思って、
LPS-P2をはずしてみたんですが、それでもゴーストは出ました。
対角線の位置に出るゴーストで、SE200Nの開口部の形状を持つ大きいものと、
ドーナツ状(とはいえ、開口部の形状なのでしょう)の小さいものです。
次に掲載するのはゴーストを見やすくした拡大画像です。

Gst

青いのと、赤いのがありますね。
ずれてるのは、撮影日が違って、大きく構図が異なっているからだと思うのですが、
色が違うのは、その理由がよくわかりません。
が、ともかく、LPS-P2をはずしたセッティングでもゴーストが出るということがわかりました。

が、まあ、そんなことはどうでもよろしい。

映画「ゼロ・グラビティ」を観てきました。IMAX 3D字幕版です。
いっこうのアニキが感想を書いていたので、私も久々に映画の感想なんか書いちゃいます。てへ。

IMAXってすごいですねー、あの音にはしびれました。
欲を言うなら、もうちょっと横方向、自分の視界をすべてスクリーンで占めるくらいだったらもっと没入感があってよかったなーって。
「ホントの」IMAXって、もっとでっかいらしいですけど。あ、席は一番後ろの真ん中らへんでした。

さて、映画の中身について。(いわゆる「ネタばれ」含みます)

ラスト。念願かなって「落ちる」ことができた主人公。
さっきまで泳いでいたのは宇宙だったけど、今度は水中を泳ぐはめに。
でもやっぱり、そこは人間の生きていける環境ではないわけで、ちょっと苦しい思いをしました。
そして宇宙服を脱ぎ捨ててようやく自由の身になりました。
人間って、めんどくさい。水中でも、宇宙みたいにぷかぷか浮いたらいいのに。

とはいえ「トンボだって カエルだって ミツバチだって」みんな生きてる、重力は友達、
「体が重い」ってなんて大事なことなんでしょうか。
地球上で「命」が育まれていることを示す、やなせたかし氏へのオマージュとなっております。
もちろん、その後、森に向かっていった主人公を、進化した猿たちが囲むのは言うまでもありません。
 

小6の息子が、「何も起こらないので難しい映画だ」というような感想を言ってました。
たしかにお話は、宇宙に放り出された主人公ライアンが、そこらへんに漂ってる宇宙船に
次から次へと避難して…ということの繰り返しだけ、と言えなくもないですが。

でもこの映画は、冒頭で示される宇宙の厳しい環境だとか、
放り出された孤独と「まじでヤバい!」感じとかを「静かに」伝えてるから、
表面的にはなにも起こってないと感じても、たくさんの起伏があると思うのです。
 
従来どおりのありそうな映画なら「ヒューストン」の場面が差し込まれるような気がしませんか?
でも、この映画はそのテのシーンはいっさいありません。ひたすら、主人公が「放り出されてる」。
「単調」と言ってもいいかもしれませんが、それはどうでもいいことなのかもしれません。
 
「一方向通信」(でしたっけ?)を、さっきまで担っていたコワルスキーの代わりに、
主人公のライアンが「一方向通信」をしなければいけなくなった瞬間なんか、
とっても重要な場面だと思います。
ちょっとした状況の変化、言ってることの変化がとても大きな意味を持っている、そういうことだと思います。 
私がこの映画で一番好きなのはオープニング、事が起こる前です。
「コンタクト」ってゆー映画がありましたが、私の記憶が確かならば、
「コンタクト」の冒頭は全くの無音でした。これがとっても好きなんです。
「ゼロ・グラビティ」の冒頭は、でっかい地球がホントにぽっかり浮かんでいて、
聞こえるのは通信の音声だけ。
ここはまじで自分が宇宙に浮かんでると思い込むことができる場面じゃないかと思いました。
できれば通信の音すら聞こえないってのを少し味わいたかったですけどね〜。
とはいえ、その後も音の聞こえる場面と聞こえない場面を対比させてるので、
「聞こえない」という状況がものすごくわかりやすいとは思います。
「静かに」デブリが猛スピードで飛んでるところなんか、ぎょぎょぎょ、ですね。
 
えーっと、宇宙の様子ですが、ちゃんと星座がわかったのはおうし座とかオリオン座のあたりくらいです。
他もちゃんとしてるのかもしれませんが、天地左右が慣れてない方向で見てるので
分からないのかもしれませんね。
南半球から見える星座の領域だったりするのかもしれません。
それと、太陽が視野内にある時と、太陽が地球に隠れちゃったときの、
星の見え方の違いとか、わざわざ差を付けているようなところもありました。
でも、星がまたたいている場面がひとつあったんですよ。
宇宙から見ても、星ってまたたくものなんでしょうか…。
 
結局、私はこの映画に「5ブラボー」です。

2011年8月29日 (月)

久々に春日井コロナでの上映トラブルに遭遇。

また「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」を観に行ってしまった。
前回は、前から2列目という劣悪環境での鑑賞となったため、もう一度観なおしというわけ。

それから、3Dの方式が前回は "XpanD" だったが、今回は "Real D" という見比べもできた。
まあ、みなさん同じ感想かと思いますが、"XpanD" は眼鏡が重い。
3D感は "XpanD" の方がちゃんとしてるなぁ、と思った。それは映画館のパラメータの違いなのかな。

ともかく、今回観に行ったのは「春日井コロナ」という映画館で、
よく書いているが、ここには中学生の頃から大変お世話になっている。
だからこの「春日井コロナ」がどういう映画館なのか?についてはよく分かっているつもりだ。

さて本題。
かつて「春日井コロナ」では、上映中のトラブルに多くでくわした。
それもまあ、20年以上前の事なわけで、いつだか改装してから、
それはそれは立派な映画館になって、なんかちょっと寂しいなあ、なんて勝手な事を思ったりもしていた。
ところが「昔とった杵柄」とゆーか、二流劇場の頭角をあらわしてきたな、なんて思う上映トラブルに
久々に遭遇した。

それはまあ、終映後、館内の照明がつかない、というトラブルだったわけだが、
思いのほか他の客がパニクっていて、
「こんな事は初めて」とあきれる声や、暗いため忘れ物を心配する声や、
足下が不安であるという声がちらほらと聞こえて来たりした。
そんな中でも全然従業員が対処しない、という感じで放置されたわけだが、
なに、春日井コロナは昔からこういう感じだったな。

フィルムが途中でぶった切れるのはもちろん、
(どういう仕組みか知らんが)ピントがまったく合っていないまま最後まで上映。
(どういう仕組みか知らんが)画面の縦横比がおかしいまま最後まで上映。
(どういう仕組みか知らんが)画面が上にずれたまま最後まで上映。
などというトラブルは、まあ、起きるもんだ。

今回のトラブルでよくなかったのは、真っ暗なのに従業員が助けにこなかったこと。
相変わらず「ガラガラ」だからいいけど、満員だったらどうすんねん、と思った。

2011年8月15日 (月)

「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」は、ひどい映画だが、愛すべき映画。

こんなひどい映画を観るのは久しぶりだ。笑っちゃう。
マイケル・ベイ監督は、「リベンジ」がひどい出来であったことを反省したのではなかったか。
脚本家組合のストライキのせいで良いモノができなかった、というような事を言っていなかったか。

まったく、同じ事を繰り返している。
反省してないんじゃないか〜。「ダークサイド・ムーン」は。

今回、アラフォー男子3人組プラス小学4年生の息子、というメンバーで観に行くというイベント状態。
もちろん、観たあと「あーでもない、こーでもない」と、この映画について語り合うわけだが、
ともかくツッコミまくりの大爆笑。楽しくて楽しくて。

あの、奴らのテクノロジーがあれば、あのような遠回しの作戦をとらずとも、
平気で地球なんぞ奪えただろうに。奴ら前作で、自分の星まで平気で飛んでいってなかったか?
とかとか、書き出すとほんとにきりがないのでわたくしは3点ほど。

まず1個め。この映画の最大の失敗は、ミーガン・フォックスさんが降板したこと(笑)。
で、新しいヒロインは、見ているとなんだか腹が立ってくるようなバカっぽさを漂わせていて、
なるほどその「才能」は最後、メガトロンをむかつかせる、というところで発揮される。
こんなのにだまされるメガトロン様も頭悪い感じだけどね。

2個め。
あの「柱」はセンチネル・プライムだけが操作できるのではなかったのか?
一度停止したあの装置を、あのイケメンが再起動しちゃったではないか!
センチネルを利用するがための、あのまどろっこしい作戦があったわけでしょ。
なのに人間が「ポチっとな」しただけで再起動するようでは、この映画全体が台無しになっちゃうじゃん。

3個め。
その、「柱」関係を再起動したあのイケメン。
その時ヤツは「ははは、これで地球は滅びるのだぁ」って! えーーーーーーっ!
なんか、そんなに地球(人類)を恨んでるようには見えなかったけど!
「父親の代からの顧客」なんて言うくらいだから、単に強い方につくビジネスマン、って感じだったのに。
地球滅びたら自分も死んじゃうじゃん。

というわけで、次から次へと出てくる出てくる。
前作、前前作との設定の矛盾へのツッコミから、
放置されたままのエピソードの数々、
ディセプティコン側の的確とは言いがたい攻撃、などなど。

近年まれに見る楽しいダメ映画。
ひどい映画なんだけど、何度でも観たいし、自分は「ファン」である、と言い切ることができる。

あ、今回、多分初めて人間の死体というのを画面に出しましたね。
「宇宙戦争」(スピルバーグの方)的燃焼とかもかなり絶望的だし。
あのシカゴのシーンを観てると、東日本大震災のことが頭に浮かんで、本気で憂鬱になった。

それから「あ、なんか、あの映画を思わせるシーンだ」というようなお楽しみもたくさんある。
「007」からは「Q」とゆーキャラクターをそのまま移植してるし、
柱に隠れてる人間のうしろからロボットが「がおー」なんつってきょろきょろ探すところなんかは
「ジュラシック・パーク」だなぁ、なんて思ったりした。
ほかに「インデペンデンス・デイ」的展開のところでは涙が出そうになったりとか。

まあ、なんだかんだといろいろ書いて、まったくまとまらない記事になったが、この映画もそんな感じ。
とにかくひどい映画であることは間違いないけど、愛すべき映画だ。
これだけはわかって欲しいが、わたくしはこの映画、大好きだ。

2011年7月 6日 (水)

「スピルバーグ映画」+「ゲロ」= " SUPER 8 "

小学4年生の息子と映画「SUPER 8」を観てきた。
この映画の、一番最初の予告映像を観たのは昨年だっただろうか?
全く意味不明だが、なんか怪物が出てくるであろうことは想像できた。
世界中のオタクたちがこの映像を解析し、文字列を発見し、Webサイトにたどりつくなどしていたのを
とても興味深く見ていた。
そういうわけで、ものすごーく期待して観た。

で、号泣したり、少年少女の恋物語に胸をうたれたり、
そういった期待や推測とは大違いの映画であったわけだが、
わたくしなりに出した結論としては「スピルバーグ映画」+「ゲロ」がこの映画っていうこと!

スピルバーグ映画の「ゲロ」というと、「ジュラシック・パーク」に見られるように
年頃の少年が「吐いたことは内緒にしておいて」というような繊細な感情を描くものだったが、
この「SUPER 8」はもろに嘔吐シーンを見せる。それもかなり高度な映像で!

「マルサの女2」にはものすごい勢いで吐き出されるジェット系の嘔吐シーンがあったが、
「SUPER 8」には「トルネード型」とでもいうべき「理にかなっていそうな」嘔吐シーンがある。

まあ、そんなことはどうでもいいが、
いずれにせよ、主人公のジョー君と恋する「アリス」の物語が実に絶妙。
もう「絶妙」としか言いようのない顔。大人でもない、子どもでもない、そんな絶妙さ。
これは、感情移入できる顔だ。
特にアリスちゃんは、「不思議ちゃん」にならない絶妙さを保ちつつ、
なにやらそこらへんの少年ボーイたちとは違う雰囲気を出している。よ! お見事!

映画冒頭で、どうやら「スリーマイル島原子力発電所事故」(1979)が起きたらしいことが
画面内のテレビでわかる。
そして、この映画の「売り」でもある謎。
だけど実は「謎」と思っているのは、市民だけ。
軍はすべて知っている。そしてあることからその謎(秘密)がばれそうになったとき、
あの手この手で隠そうとする。人の命を奪ってでも。
直接関係はないこの2つの設定だが、今の日本の「原子力村」周辺事情を聞くにつけ、
あー、どこも一緒だなぁ、と思う。

最後のお母ちゃんの形見のシーンは、そうなるだろうとわかっていても号泣だ!
ともかく、嘔吐シーンと少年少女の絶妙な恋物語を見るだけでも十分お金を出す価値はある!

2011年6月10日 (金)

春日井コロナ、経営大丈夫ですか?

6月4日土曜日、小学4年生の息子と春日井市にある「春日井コロナ」に映画を観に行きました。
お題は「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」。

このところ天文関係への出費優先のため、映画館に行く余裕がない日々が続いておりましたが、
諸般の事情により(?)子どもを連れて行ってやろうということになりました。

なんかあれですね、3Dって進化したんでしょうか。
わたくしの3D体験というのは例によって「アバター」以来なんですが、
なんかすごい立派にみえました。どちらも同じ「RadlD」という方式で観ました。
「アバター」の方は、ちゃんと3Dカメラで撮っているそうですが、
「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」は「無理矢理方式」みたいですね。
だけど、なんだか「進化」を感じました。
わたくしの評価があがったのは、映画の内容そのものが影響したのかもしれないし、
「アバター」の頃の「3D元年」的状況から、一般化した3Dという点も影響しているのかも。

さて、7月公開の「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」の予告が上映されていましたが、
こちらも3Dで観る事ができました。おぉ、期待させるでないの。男の子は全員行くべし。

肝心の「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」について。
このシリーズ自体の熱心なファンというわけでもなく、
前の作品のどれを観た事があるのかも、よく把握していないわたくし。
そういうわけで、おなじみらしい登場人物が敵なのか味方なのか、
主人公とはどういう関係なのか、とか全然わからぬまま見続けましたが、
ひとつ、わかったことがあります。
それは、海賊は、海賊なりの「コード」で行動しているということ。
ある時、敵/味方関係ない時がやってくる!
海賊の行動は、魂が決めるのだ! ということです。
(途中、それを覆す笑えるシーンはありますけどね)
ここで重要なのは、そのような海賊は「男」であるということ。
「女」は最後まで裏切る! そう、エンドクレジットで席を立たないこと!

ところで、「春日井コロナ」なんですが、経営面は大丈夫なんでしょうか。
併設のビデオレンタル屋とか回転寿司屋とかが軒並み閉店してるみたいで…。
この日も劇場はガラガラでしたし。土曜日の昼ですよ。

まあ、中学時代から愛用しているわたくしとしては、人がいないから
「こんな春日井コロナ、大好き」って感じなんですが、どうにも不穏な空気が…。
今わたくしが住んでいる多治見では、ずいぶん前に映画館がなくなってしまいました。
そんな風にならぬよう、春日井コロナには、ぜひパチンコで稼いでもらいたい。

2011年4月24日 (日)

映画「冷たい熱帯魚」のラストは、元日の日本を表している、と勝手に解釈。

「冷たい熱帯魚」を観て来ました。
わたくしが小学校の時ですかね、でんでんさんはお笑いをやっていましたが、
すっかりいいおやじになって俳優に。
「クライマーズ・ハイ」では、ややこしい話をうまくまとめる気のいい整理部長だったりと、
優しい人物といえばでんでんさん、みたいなところがありましたが、
この「冷たい熱帯魚」では突然怖い人になってました。
「社本さん」なんて愛想良く話しかけていたのに、急に「おい、社本そこに座れ」なんて
言い出したりして、その変貌ぶりが不気味で不気味で。

それはそうと、でんでんさん演ずる村田が、社本の天体好きを軽くDISってたりするのが気に入らん!
でもこの映画に出てくる星空は、本物ですね。プラネタリウムという体ですけど。
ちゃんと冬の星座が見えていました。
ちなみに、先日観た「トゥルー・グリット」の星空はめっちゃくちゃ嘘っぽかったです。

同じ園子温監督の「愛のむきだし」は、わたくし、つい最近観たばかりなのですが、
あれは何度も観たいと思うシーンがたくさんありました。
(「変態、変態、変態…」とか)
しかし今回の「冷たい熱帯魚」にはそれほど中毒性はありません。
それは、出てくるのがおっさんばかりだからかな。
「社本君、ちょっと痛い」とか笑えるやら怖いやらの名セリフはありますが、
あんまり何回も観たくないなぁ、と思いました。

で、あのラストシーン。
あの時、ほとんどの面倒くさい人々は死んでしまいました。(社本の奥さんだけは違うけど)
そして娘が生き残る。娘は死んだ父親にあんなことを!
なんだか、すっかり解放されてるという。
ものすごい出来事で、解放されて喜んでる場合じゃないと思うんですが、
これは、大晦日を過ぎ、それまでの面倒なあれやこれやはすっかりなかったことにして、
きれいさっぱり新年をまっさらになって迎えましょう、という元日の感じに似ている!
と、勝手に解釈したのでありました。

もしわたくしが中学生だったら、あの娘の感覚は、ストレートに理解できるかも?

2011年4月19日 (火)

「トゥルー・グリット」で、子どもの真っすぐさを実感。

映画「トゥルー・グリット」を観ました。
父親を殺された14歳の娘マティ・ロスが、保安官を雇って仇うちするという西部劇。

何が驚いたって、その娘のぶれない感じ。真っすぐに目的に突き進むその意志!
酔っぱらい保安官ルースター・コグバーン(ジェフ・ブリッジスさん)はじめ、
自慢話が鼻につくテキサス・レンジャーの若造ラビーフ(マット・デイモンさん)などは
あーだこーだと言いながら、テキトーな大人なんである。

あの娘からは、父を殺されたという悲壮感はあまり感じられず、
交渉ごとやいろいろなものの手配が「事務的手続き」にすら見えるのは、
いったいなんなんでしょう。そういう時代だったんでしょうか。

子どもってゆーのは、妥協したり、適度にごまかしたりっていうことをしない。
ただ、真っすぐやるのみ。わたくしにとっては、そういう部分がすごく目立つ映画でした。
怖い事もあろうかと思いますが、なんかすんなりクリアしていくし、
コグバーンとラビーフの関係が険悪になった時、
何やら仲をとりもつようなこともする。(夜、野宿の場面)
(このあたり、何か意味がありそうな場面なんですが、よく理解できず。原作を読むと分かるかな?)

ラビーフはやや「若造」感があるためか、少しは早めに娘と理解し合う。
結局最後の最後まで、ダメな大人、ずるい大人はコグバーンだった。
けど、ちゃんとやるけどね。

「熊さん医者」のくだりは、ものすごいまがまがしくて、
あのコーマック・マッカーシーさん「ブラッド・メリディアン」のようなものを感じました。
当時はあれが自然な営みだったのかな。
「ブラッド・メリディアン」が映画化されたら、そういう人ばかりなんでしょうね。

で、汚れっちまったボクたちは、この映画を観て、子どもの真っすぐさを見習うべきだね。

あと、マティが穴に落っこちて、蛇がうじゃうじゃ出てくる場面で、
隣のおばさんが大騒ぎして「いやー! ぎゃー」などと騒ぎ、足をばたつかせて大暴れしていたのには
驚いちゃいました。

2011年3月24日 (木)

主人公が既に「持っている」のが気に入らない「ローラーガールズ・ダイアリー」。

エレン・ペイジ!
ジュリエット・ルイス!
おーーーーー。

ドリュー・バリモアさん監督の「ローラーガールズ・ダイアリー」をDVDで観ました。

とっても元気になれる、いい映画なんですが、
どうしても気に入らないのは、主人公が既に「高速」という能力を持っているということ。
靴を引っ張り出して、練習しだした時なんか、こけてたじゃんかよー!

と、はっきり言って、そんな事はどうでもよろしい。

ジュリエット・ルイスさんが出ているから、いいのである。
そして、最後まで「いいライバル」感が出ていてすごいのである。
でも、ほとんど素顔見えないけど。

わたくしとしては、コーチが素晴らしい人だな、と思いました。
あのボンクラ! 一途なんですね。自分の作戦が「実行」されている、そのことに感動して
泣いてしまうという、なんとも愛すべき人物であると言えます。

この映画、中学生か高校生あたりが観ると、主人公に感情移入するんだろうなと思いますが、
わたくしのような父親は、やはり、あの父ちゃんに感情移入しちゃいますね。
なんだかんだ言って、逸脱していく感じというのは、あこがれますです。
本編では使われず、エンドクレジットで少し出てきましたが、
バンの中で荒れ狂う「ガールズ」達。あの感じは「女版 ハング・オーバー」っぽくて
めちゃくちゃア(↑)コガレますよ!

かといって、母親が駄目というわけでもなく、
こちらも、実に含蓄のある存在になっていました。負けた!
でも、「ミスト」のあのおばさんでしょー。

2011年3月12日 (土)

超個人的理由で「英国王のスピーチ」は「2ブラボー」。

かつてTBSラジオ「ストリーム」には、司会の小西克哉さんが映画を観て
「5ブラボー」満点で点数をつけるというコーナーがありました。

先日観た「英国王のスピーチ」は、途中までは5ブラボーだったんですが、
肝心のところで「うわ、これはだめだ」となり、最終的には「2ブラボー」にせざるを得ない
という映画でした。

その理由というのも、非常に個人的なもので、
まったく他人には理解できないであろうし(いや、ひょっとすると、同じ人がいるかも?)
作り手の方にはまったく関係のないことで申し訳ないとは思うので、
そのあたりを含め、いや、実にいい映画です、と書いておきます。

「2ブラボー」にまで下がる理由は後で。

まず、この映画、画面がとてもいいと思いました。
「構図」っていうのでしょうか。画面のどこに人がいるのか、とか、
扉が開いたとき、その向こうにいる人が、こっちに向かってくる動きとか。
多分、そういう事を専門にやってみえる方なら、何らかの理論付けができるのでしょうが、
わたくしは知らないので印象批評なんですが。
中学生の頃大好きだった、マフィア映画みたいで。「アンタッチャブル」とかですかね。
ああいう「かっこよさ」が感じられました。

それから、笑いの部分が良かったです。いわゆる「自虐ネタ」の数々。
ヘレナ・ボナム=カーターさん演じる王妃、いいですね。シャレがわかるし、いつも前向き。

さて、「2ブラボー問題」。
それは、クライマックスの、感動的であろうスピーチの場面にあるのです。
マーガレット(記憶が確かならば)をして「最初は危なかった」あのスピーチ。
あの場面で流れている音楽。それは、ベートーベンの交響曲第7番第2楽章じゃないですか!
ううむ「愛のむきだし」だ…。
「コリント書の第13章を知っているか!」を思い出しちゃうよぅ。うえーん。
どうしても頭から離れない、あの場面。それが重なる!
どっちも一人の人間が長い演説をしてるし。ぎゃーーーー。

一番いいところでしょ。一番感動するところでしょ。
そこに向けてがんばってきたんじゃないかよ、バーティー!
で、でも、あの7番のおかげでわたくしの頭の中は満島ひかりさんが…。

いや、映画は悪くない。

2011年3月 2日 (水)

恥ずかしいけど、いいじゃないか!「恋とニュースのつくり方」を観た。

オサレな女子が観そうなタイトルとたたずまい。
でもわたくし、予告編を観たときから、これは観たいなあ、などと思っていたのでありました。
なんか軽快な感じがして、がんこなハリソン・フォードがどうせ最後には心を開いて、
ヒロインは大活躍、ってゆー、直球しかない映画っぽいのだけど、(たしかにその通りではあった)
このような愉快な映画を観るのも大変すばらしいわけですよ。
だけど、まずチケット売り場で「『恋とニュースのつくり方』一般で一枚」とか言うのが
恥ずかしいじゃないか!

どーせ劇場内は、オサレっぽい女子が2人か3人組で、わらわらといるんでしょ、
と思ったけど、案外人が少なくて…。おまけに一人で来ているおじいちゃんが2人も…。
このおじいちゃんはハリソン・フォード狙いなのか、ひょっとするとダイアン・キートン狙いなのか。
そんなことはどっちでもいーけど、ちょっと安心だ!
そういえば以前「JUNO」の劇場が女子高生だらけだと聞いて、怖じ気づいて行かなかったことがあるですよ!

で、映画。このヒロインの演技は、過剰なコメディタッチ。こんなヤツいるのかしらん。
ジェフ・ゴールドブラムさんがこのヒロインに「自分が恥ずかしくないか?」と言うところがあるのですが、
観ているこっちも「おまえ、恥ずかしくないか?」と思うほどの「やかましい」人間だったのです。
が、軽快で軽快で、非常に無垢な感じがして嫌みではないと思いました。
このうるさい感じが克服できれば、なかなか心が美しくなる映画なのでは、と思います。

あくまでも若い女性主人公を中心とした作りになってますから、
仕事とは何か、仲間とは?みたいなことや「テレビは報道か娯楽か」とかいう議論も
あくまでも道具として使われているにすぎず、すかっとさわやか、がんばる女子、
ノー天気で何が悪い! 裸で何が悪い!(草なぎメンバー)という風になっていました。
どんな嫌なヤツ相手でも、こんな風に仕事ができたら、なんて素晴らしいのでしょうか!

最後、ハリソン・フォードさんが卵料理を作るところは、美談扱いになっているけど、
あれは現場からしたら迷惑な話なんじゃないのか?

そんなことより「ナイトオウル」ことパトリック・ウィルソンさんの顔が
どーも信用ならない気がするのは、わたしだけでしょうか?

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