フォト
2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

ウェブページ

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

書籍・雑誌

2012年7月 4日 (水)

「NOVA7」以来、小川一水さんの本ばかり読んでいます。

ずいぶん前のことですが、大森望さん責任編集の
「NOVA 7 書き下ろし日本SFコレクション』(河出文庫)を、
増田俊也さんの「土星人襲来」目当てで読みました。
面白いお話がたくさんありましたが、中でも小川一水さんの
「コズミックロマンスカルテット with E」が凄すぎて、
それ以来、小川さんの本ばかり読んでいます。

なんか頭が悪くなって、自分が読んだ本すら憶えていられない状態なので、
このブログに感想文のようなものを記録しておこうとか思っていたのですが、
そんな事も面倒なくらい、狂ったように読んでいます。

最初に読んだのは「天冥の標 1 メニー・メニー・シープ」でした。
なんでしょうね、これは、と思わずにはいられない、巨大な感じが…。
好きな事やりまくってるみたいですね。

それはそうと、東日本大震災以来、小説を読んでも、
なにかと今の状況だとか、震災のことと結びつけて考えてしまいます。

豊崎由美さんが震災直後に
コーマック・マッカーシーさんの「ザ・ロード」に(Twitter上で)言及したように、
また、最近ではマーセル・セローさんの「極北」を勧めているように、
それが書かれたのが震災前か後かに関わらず、
ちょっと思い当たる節があると、震災のことを考えてしまいます。

「天冥の標」でいえば、「電気持ってるヤツが支配する」という世界。
「1」は3年くらい前に出ている本ですけど、時代によって、意味が変わってくるんですね。

今日(7月4日)の日本経済新聞夕刊「エンジョイ読書」面の「読書日記」で
佐藤友哉さんという作家が「風化しない現実、SFに見る」として
伊藤計劃さんの「虐殺器官」を紹介しています。
「虐殺器官」は震災前の小説ですが、(それどころか、伊藤さんは2009年に亡くなっている)
 「自分の見たい現実を見るために、他者の現実をつぶす。
  3・11以降、国家も市民もやっているおなじみの光景」
が書かれているので
 「これから読む新規読者は、まったく古さを感じない」
のだ、と佐藤さんは言っています。

こんなような側面を持っている小説というものに、
能天気な希望を見いだしたりすることもあります。

京極夏彦さんの「ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔」の世界では
核廃棄物の処理が解決されています。
登場する人物が、昔は核廃棄物の処理に困ってたみたいだよね、くらいの事を思ったりするだけで、
本題とはあんまり関係ない設定ですが、いずれにせよ、現実が追いつけば、どんなによいでしょうか。

小川さんの小説にも、しばしば軌道エレベーターとか核融合とかが出てきますね。
いったい、どうなっていくのでしょうか。
「極北」みたいに、まさかオレが終末に居合わせるなんてなぁ、なんて事になったりもするのでしょうか。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年3月11日 (日)

増田俊也さん「恋のブランド」を読んで。

増田俊也さんの「恋のブランド」。
「『このミステリーがすごい!』大賞10周年記念 10分間ミステリー」(宝島SUGOI文庫)という文庫に入っている短編で、増田俊也さんの「動物モノ」2作目。
増田俊也さんの小説を待っていたわたくしとしてはうれしいかぎり。
最近では、「NOVA 7」(河出文庫)に「土星人襲来」が収録されているので、ちょっとうれしい。

さて、ちょいと前に、パンダみたいな模様のウシができたとかで話題になっていたけど、
この「恋のブランド」はそれの「鯉」版か。
"Love is blind" ではなくて、"brand"なわけだけど、
なんだか「人を食ったようなお話だなあ」という読後感。
ここでいう「人を食ったような」ということばの意味は、
かるーくからかわれているような、いたずらっぽい感じ、ということ。
(正しい使い方かどうかは知らんけど)

ちなみに、この小説を読んで、筒井康隆さんの「亭主調理法」を思い出した。
「亭主調理法」は文字通り「人を食ったような」小説だったけど、
作家にかるーくからかわれている感じは似ていると思った。
「亭主調理法」の最後で、「印刷屋のミスで…」なんていうところは、
読者としてはニヤニヤしながら「バカにしやがって!」と喜んじゃうのだけど、
「恋のブランド」でも「お、おい! このオチか!」というニヤニヤ感がある。


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年2月26日 (日)

初めて樋口毅宏さんの小説を読んだ。「民宿雪国」。油断禁物。危険です。

樋口毅宏さん「民宿雪国」(祥伝社)。

樋口毅宏さんの小説は、初めて読みます。
で、「民宿雪国」というタイトルですから、すっかり「油断」してました。
が、29ページから、お話はとんでもない方向に! いきなりだ!
「民宿雪国」は "BATES MOTEL" 以上にまがまがしい宿になる!

とにかく「一 吉良が来た日」は危険としか言いようがない。
ああ、樋口さんという人は、こういう感じなんだ、
と思い知らされ、樋口さんの小説の評判は、なるほど、こういうことなのか、と納得させられる。

でもまあ、これを受け入れられる人と、そうでない人の間には、
非常に高い壁がありそうだということも想像できます。
重厚だったり、小説をたくさん読んでいる人からすんなり受け入れられるような本ではないと思うのですが、
それでも「これ、好きなんだよ」と言いたくなる本です。

映画でいえば「トランスフォーマー」ですよ(特に2作目と3作目。笑)。
あんな出来の悪い映画はないですが、それでも俺たちは大好きで、いつも観にいくという!

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年2月23日 (木)

読書記録。「だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?」。

「だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ? 〜ジャズ・エピソード傑作選」(うから)
ブリュノ・コストゥマルさん著、鈴木孝弥さん訳。

いい仕事やり遂げたなあ、と思わせる本が時々あって、
最近では増田俊成さんの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」がある。
ちなみに、この本に「だけど」をつけると
「だけど、木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」になるが、そんな事はどうでもよろしい。

「木村政彦は…」の方は、「○○には○○と書いてあるが、それは間違いである」というような
従来、定説となっていた数々の細かい話を執拗な取材と調査で打ち砕いていく部分が
わたくしにとっては萌えるポイントだったわけです。
一方、この「誰曲げ」は、訳の鈴木孝弥さんの仕事が素敵です。
鈴木さんの、外国語のカタカナ表記に関するこだわりというのが「いい仕事」と感じられ、
菊地成孔さんいわく「新しいデフォルトを定義」している、ということになる。
「木村政彦は…」同様、定説をひっくり返していると感じた。

具体的に言うと、ディジー・ガレスピーは「ギレスピー」になってる、というような。
これについて鈴木さんは、TBSラジオの「高橋芳朗HAPPY SAD」にて、
(ディジーの)あるレコード(何かは忘れちゃいました)で
バンドメンバーを紹介するMCが、明確に「ギレスピー」と発音しているので、
オレは「ギレスピー」と書く、というような事をおっしゃっていました。

さて、この本で語られる話題については、
わたくしの知識不足から「え? 誰それ?」というのが多々あり、なかなか苦しいものがありました。
純粋に話題を楽しめるのは、やはり知っている名前が出てくるところになっちゃいますね。

それにしても、ディジー・ギレスピーの大統領選の話はおもろいですよ。
もしディジーが大統領になっていたら…。
 
  彼は実際に、マイルズ・デイヴィスをCIAのボスに、マルコムXを司法長官に、
  ペギー・リーを労働長官、デューク・エリントンを国務長官…

とディジーの考えていた内閣が書かれているところは、笑わずにはいられない。
そして「バンドか!」とつっこまずにはいられない。


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年2月19日 (日)

読書感想文。佐藤嘉尚さん編「面白半分BEST随舌選」。

佐藤嘉尚さん編「面白半分BEST随舌選」(文藝春秋)。

「面白半分」という雑誌をリアルタイムで読んでいたのは、わたくしの親の世代あたりなんでしょうか。
1972年から1980年にかけて刊行されていたものですが、
わたくしはこれを筒井康隆氏を通じて知りました。
まあ、中学時代からツツイストなわけで、周辺の本を読んでいると、何かと出てくるわけです。

筒井さんが編集長をしていた時代の「面白半分」は、古書店でまとめて売っていたのを入手しました。
まったく面白い雑誌で、特に半村良氏の「南千家流礼法」というのがふざけていて気に入っていました。

この「面白半分BEST随舌選」というのは、
「面白半分」に掲載されていた「随舌」という企画をまとめたものです。
編者である佐藤さんは、「面白半分」の発行人で、昨年亡くなっています。

当然というか、この「随舌」に出てくる人も相当亡くなっているわけです。
奥付を見ると2007年8月に発行されているこの本ですが、
発行当時は存命でも、その後亡くなった人もいます。
そんな感想しかないのか、という感じですが、まあ、時の流れ、時代の移り変わりを感じさせる本です。

それにしても、当時の人たちは、なんて乱暴なんでしょうね。
その乱暴さが、なんともいえず、かっこえーのです。


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年2月15日 (水)

読書感想文、桜庭一樹さん「ばらばら死体の夜」。

桜庭一樹さん「ばらばら死体の夜」(集英社)。

うーむ、ちゃんと考えたのか? と言いたくなるような題名だけど。
「私の男」のような湿った、ねっとりとした、いやらしい部分が久々に登場。
荒唐無稽というか、小牧さん曰く「漫画」的なものが続いているなあと思っていたので、
この久々な感覚は「いいじゃない!」。

途中、「これは『サイコ』なのか」と思わせるところがあり、
ひょっとすると、吉野解が語っている部分は全く信用ならない、というタイプの小説か、
と思ったりもしたのだけど、他の登場人物が語る部分と矛盾がないようなので、
「なーんだ、考えすぎか」。

映画「冷たい熱帯魚」にあるような、あの「周到さ」がまったくないバラバラっぷりで、
ずいぶんお気楽なもんだな、と思った。
にもかかわらず、吉野解は捕まらずに終わるので、なんとも不思議な感覚。
「エピローグ」の語り手が、吉野解の娘というのが考えさせられる。
いったい、どういう風に生活を続けているんだろうか、などと妄想が膨らむ。


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年2月 2日 (木)

しまおまほさん「ガールフレンド」が、何か哀しい。

しまおまほさん「ガールフレンド」(P-Vine BOOKs)。

ラジオから聞こえるしまおまほさんは、
ぼんやりしていたりボンクラだったりという印象を受けるようだけど、
わたくしは、「なるべくなら触れてほしくない、誰もが思っていること」とかに
ズバリ切り込んでくる人だなあ、という思いがある。

「イタい」とも言える。
いや、しまおさんが「イタい」のじゃなくて、
しまおさんにそれを言われると「イタい」というような。

この「ガールフレンド」というエッセイなのか小説なのかよくわからない本からは、
到底「ぼんやり」という印象は受けない。

不思議な事に、哀しい感じがした。

小さい頃仲良しだったあの子が、今はこんな大人になった、とか
友達だと思っていたあの人が、自分をこんな風に思っていたんだ、とか
そういう多くの「変わってしまうこと」が書かれているが、それが哀しげに思えた。

でも、しまおさん本人はそれを哀しいこととしてとらえているとは、思えないけど。


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年1月23日 (月)

また良い本を読んでしまった。冲方丁さん「天地明察」。

冲方丁さん「天地明察」(角川書店)。
とても良い本を読んでしまいました。

昔の人はすごいなぁ、という牧歌的な感想を持ちつつ、
最近になって、不確定性原理がどうの、光速より速い粒子がどうの、など
信じられてきた理論がひょっとすると「誤謬」なのかもしれない、というニュースを目にすると、
今でも、この小説に書かれていることが続いているのだな、と感じる。

数式から導き出された結果が間違っているのではなく、数式そのものに誤謬があるのだ、
というのは、現在ではあんまり考えにくいのだと思っていたけど、そうでもないのねー。

 「北極星を見て参れ」

このひとことにしびれた。
あ、動き出した、という感じがする言葉。
だけど、その後もものすごい動きが続き、このひとことに匹敵する「パンチライン」も多数。

主人公渋川春海は、あらゆる協力者を得て大きな仕事を成し遂げる。
スーパー能力を持ったヒーローではなく、一般人より少し優れている登場人物、という感じ。
彼に協力する人々が非常に魅力的なので、いわゆる「チーム萌え」的楽しみもある。
まったく、立派な人ばかり出てくるもんだ。

天文屋のわたくしとしては、多分、それほど精度のよくない機器で
よくまあ立派な観測をしたもんだ、というのに驚かされた。
いまだに星雲などが導入できなくて赤道儀を振り回している自分が情けない!

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2012年1月14日 (土)

真藤順丈さん「畦と銃」、道尾秀介さん「片眼の猿」。

最近、天文の本ばっかりだったのですが、
久しぶりに小説に戻ってまいりました。で、読書記録を。

真藤順丈さん「畦と銃」(講談社)。
知らぬ間に真藤順丈さんの新刊が!
農業林業畜産とロックの融合でした。
そして、大量のパンチライン!
とてもわくわくする小説でした。

  百姓の百ある業のひとつめ、一は一揆だっや!

とか、これが書きたくてこの小説を書いたんじゃないかと思えるくらい秀逸。

  なにしろこの村じゃ、鍬と鋤とコルトガバメントがごったになって、
  田んぼの泥には薬莢が落ちていてな。
  村のことばで言うところの〈あぜやぶり〉が悪さしてるけ、
  あんたの幻想をぼっ壊しちまうかもしれねえな。

と、はじめの方で書かれていて、衝撃と期待でいっぱいになりました。
真藤さんはすごいなぁ。

また、この本の目次の感じ。
(見ると、なるほどと思えますが)この感じが、
本の方向を定めているなぁという印象を受けました。

もう一冊。
道尾秀介さん「片眼の猿」(新潮社)。
ああ、また警察に捕まるべき人が逃れてるなあ。
だめじゃないか!


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2011年12月25日 (日)

開沼博さん「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」。

開沼博さん「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)。

主に東日本大震災前に書かれた論文をまとめたもので、
 “「原子力ムラ」というテーマについて「中央と地方」と「日本の戦後成長」の関係を論じ”た本。
この本では「原子力ムラ」ということばは
 “地方の側にある原発及び関連施設を抱える地域”
 “中央の側にある閉鎖的・保守的な原子力行政”
のふたつを指す。

現在の雰囲気だと「原子力ムラ」というのは
後者の「中央」を批判する時に使われているのをよく目にする。
しかしこの本は「地方」について多く書かれている。

しかも、東京電力福島第一原子力発電所の事故後、
我々が考えがちな「被害者」としての「地方」ではなく、
地方は「加害者」をも含んでいることに気づかされる。
また、“自動的かつ自発的な服従”などにより、中央と「共鳴」すらするという、
いったいどうしてこうなっちゃうのか、と思わずにはいられない事が書かれている。

が、最初の方の「『フクシマ』を語る前に」という部分に書かれている
事故後の原発立地地域の人々の言葉を読むと、
外部の我々がとやかく言う事をためらってしまう。
次の一節だけでも「釘を刺された」と感じる。
“ひたすら放射能や自然エネルギーに関する知識・情報を収集しては披露しようとする者、
 そこかしこに救国のヒーローをでっち上げて感傷にひたろうとする者。
 あるいは、福島の地元住民を一方で「自分たちで使うわけではない電力を作ってきたのに
 こんなことになってしまってかわいそう」と「良心派」ぶり、
 他方で「結局補助金とかジャブジャブもらってたんだから自業自得でしょ」と
 「リアリスト」ぶる人びと。”

原発と現在の事故に関する技術的・科学的なことが書かれている本ではないのだけれど、
「地方が栄える」ということについて、
(想像力を働かせて)自分の身に置き換えて考えるきっかけになった。

より以前の記事一覧